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映画『ファーザー』、自己崩壊する恐ろしさが忍び寄る

投稿日:2021年5月18日 更新日:

目次

アンソニー・ホプキンスの「名演」を噂に聞き、劇場へ

映画『ファーザー』出典:映画『ファーザー』オフィシャルサイト

 4月に発表された第93回アカデミー賞で主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)と脚色賞の二部門受賞を果たした『ファーザー』。

 アンソニー・ホプキンスの名演が光る傑作との前評判を耳にし、封切日の5月14日(金)に劇場に出かけてきた。

 映画を観終え、自分の未来を見せられているようで冷や汗が流れた。もし認知症におかされるのなら、その前に安らかに往生できないものかと、本気で考えてしまった。

◆あらすじ

 ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配する介護人を拒否していた。そんな中、アンから新しい恋人とパリで暮らすと告げられショックを受ける。

 だが、それが事実なら、アンソニーの自宅に突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ? なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか? ひょっとして財産を奪う気か? そして、アンソニーのもう一人の娘、最愛のルーシーはどこに消えたのか? 

 現実と幻想の境界が崩れていく中、最後にアンソニーがたどり着いた〈真実〉とは――?

(出典:映画『ファーザー』公式サイト

映画『ファーザー』出典:映画『ファーザー』オフィシャルサイト

痴呆老人を疑似体験する恐怖

映画『ファーザー』出典:映画『ファーザー』オフィシャルサイト

 この作品は、従来の認知症老人を描いた作品のように、「父や母が奇妙な言動をとり始めた」という息子や娘の視点から描かれたものではない。

 本作が斬新なのは、認知症を病む父の視点から描かれた作品だという点。観客は、認知症患者の世界を疑似体験できるように作られている。

 たとえば、見知らぬ女性が「パパ」と呼びかけてきたり、娘の夫(と自称する男)がわが家に突然現れたり、あるときは娘の恋人も現れ「ここは自分たちの家だ」と語り始める。
 認知力と記憶力の衰えにより、家族の顔も認識できなくなる。場所も時間もあいまいになり、何が現実で何が幻想か、全く分からなくなってくる。

 観客はアンソニーと共に混乱した現実を過ごすうちに、自分の認識と記憶が崩壊していく恐ろしさがじわじわと迫り、他人事ではなくなってくる。いつか自分もこうなるかもしれない、という恐怖が湧き上がってくるのだ。

 最後に全てが明らかになった時点で、孤独と絶望に打ちのめされた主人公の悲哀が観る者の胸をしめつける。

 

アンソニーパーキンス、圧巻の名演にうならされる

映画『ファーザー』出典:映画『ファーザー』オフィシャルサイト

 映画『ファーザー』の監督は、原作となった戯曲を手がけ、フランス演劇界最高賞とされる「モリエール賞」を受賞した仏の小説家/劇作家のフロリアン・ゼレール(41)。
 本作では映画初監督で脚本も担当したという。

 聞くところによると、映画化に当たり、認知症の父親役として頭に唯一浮かんだのが英国出身の名優、アンソニー・ホプキンス(83)だったとか。
 主人公の名前もアンソニーに書き変え、年齢も生年月日も彼と同じ設定にするという入れ込みよう。

 その思い入れに見事に答えたホプキンスが、アカデミー主演男優賞の名に恥じぬ圧巻の演技を見せてくれる。

 尊大で気むずかしく、自ら「(自分は)非常に知的だ」と恥ずかしげもなく口にするような自信満々の老人。その老人が、認知症の症状が進行するにつれ徐々に自信を失い、目もうつろになり、おびえて幼児に返っていく姿を見事に演じ切っている。

 極めつけは、ラストシーン。あんなに嫌がっていた介護人に肩を抱かれて泣きじゃくる姿に、観ているこちらも切なさがこみ上げてくる。
 あまりに名演すぎて真に迫るがゆえに、老いることの残酷さがより深く胸に突き刺さる。

 

「真珠取り」の哀切な歌声と秀逸なラスト

 作品中2度(確か)流れるアリア(叙情的な独唱曲)、甘く優しいメロディーと美しい歌声が心にしみいる。
 自己崩壊の恐怖におびえるアンソニーを、優しく穏やかに包み込んでくれるようだ。

※『ファーザー』の挿入歌曲「ナディールのロマンス(耳に残るは君の歌声)」

 どこかで聞いたメロディーだと思うのだが、どうしても曲名が思い出せない。
 帰宅してネットであれこれ調べ、やっとビゼーのオペラ『真珠取り』で歌われた歌曲だと判明。
 「ナディールのロマンス(耳に残るは君の歌声)」という歌曲だそうだ。

 この曲をアルフレッド・ハウゼ楽団(独)が『真珠取りのタンゴ』という曲名で世界的にヒットさせた、との説明を読み納得。
 若い頃に何度か耳にした記憶がよみがえってきた。

 「耳に残るは、確かに彼女の歌声。‥‥おお、美しい記憶、狂おしい陶酔 甘い夢よ・・
 かつての恋人の歌声と共に過ごした記憶を思い起こし、懐かしむ曲だった。

 「全ての葉を失っていく。私は誰なんだ‥‥」と嘆くアンソニー、
 屋外では、青々と葉を茂らせた木々が生を謳歌している。
 一方、老人施設の中で記憶を失い絶望の淵に沈む老人
 その背景に流れる、思い出をいとおしむ歌声‥‥。

 実に象徴的で秀逸なラストシーンにうならされた。

 本作で音楽を担当したのはルドヴィコ・エイナウディ(イタリア)。全く知らない人物だったが、調べてみると『ノマドランド』(アカデミー作品賞)の音楽も担当していた。なるほど‥‥。

 ところで、厚生労働書によれば4年後の2025年には、65歳以上の3人に1人(!)が認知症患者とその予備軍となると推定されるそうだ。
 内訳は、認知症患者が700万人を超え、これに軽度認知障害(MCI)患者数を加えると約1,300万人にもなるという。

 65歳以上の高齢者の方はもちろん、認知症の親を介護する可能性がある50代以上の方は、ご覧になっておいた方がよいと思った。
 いつか来るかもしれない「その時」のために……。

※予告編

 

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