新聞の書評欄で紹介されていた『ドラマへの遺言』(倉本聰、碓井広義、新潮社)。本年4月8日スタートの連続ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」(倉本聰脚本、テレビ朝日系列)を楽しみに視聴していることもあり、さっそく読んでみた。
これが実に面白くてやめられなくなり、一日で読了。今回は、この本を紹介させていただこう。
四国遠征レポートの続きも残っているし、「あとからくる君たちへ」シリーズも書き継いでいきたいが、「できるものから、小さく、 コツコツ。ときをためて、ゆっくり」やっていくとしよう。
目次
『ドラマへの遺言』とは
『ドラマへの遺言』の表紙そでの部分には、次のような紹介文が記載されている。
「やすらぎの郷」「北の国から」「前略おふくろ様」……、テレビドラマ界に数々の金字塔を打ち立てた巨人、脚本家・倉本聰が83歳で書き上げた最新作「やすらぎの刻~道」まですべてを語り尽くす。大河ドラマ降板の真相は? あの大物俳優たちとの関係は? テレビ局内の生々しいエピソード、骨太なドラマ論、人生観――愛弟子だからこそ聞き出せた、破天荒な15の「遺言」。
本書は、倉本を勝手に「師匠と仰いで」いる碓井広義(上智大教授)が行った、のべ30時間にも及ぶインタビューを一冊の本にまとめたもの。小生が特に興味をひかれたのは、次の2点。
- ドラマ『北の国から』誕生の原点となった、北島三郎との出会い
- 倉本が語る、大物俳優やテレビドラマ制作の裏話の面白さ
その全てを紹介することはできないが、さわりだけでも触れておくとしよう。
『北の国から』誕生の原点、北島三郎との出会い
本書の第7章では、かつて国民的ドラマと呼ばれた『北の国から』誕生のいきさつが語られている。NHK大河ドラマ『勝海舟』を降板し、北海道富良野へ移住した倉本。その折の体験をもとに『北の国から』が書かれたことは知っていたが、驚いたことに、その原点は北島三郎との出会いだったという。
北島の人気を探ろうと「サブちゃんに頼んで付き人をやらせてもらいました。マジで」。田舎町の学校体育館での熱狂コンサート。そこで老若男女の観客と裸でふれ合う北島のステージに強い感銘を受け、それまでの人生観が覆される逸話が語られる。
「‥‥偉い人も貧しい人も学歴もへったくれもないんですよ。人間対人間なんだ。」
「俺は今まで誰に向かって書いてたんだろうと思った。こういう人たちに向かって書いていたんだろうかって、すごく反省したわけ。」
「地べたに座らなきゃ駄目だと分かった。あれがなかったら、『北の国から』は成立していない。一番の原点ですね。」(出典:『ドラマへの遺言』)
倉本の心中で、サブちゃんの公演の観客とドラマを見る視聴者とが重なった時であろう。これを境に、それまでのドラマには登場しなかった不器用なキャラクターたちが生まれ始めたとか。
出典:BSフジ 北の国から番組サイト
‥‥と、書くのは簡単だが、大河ドラマの脚本を担当するような大物ライターが、都落ちしたとは言え、40歳で北島三郎の付き人を志願できるだろうか。普通はノーである。
「ピンチはチャンス」とよく言われる。しかしそれを実行できるのは、ピンチから逃げない強さと、チャンスをとらえて現状を打開しようとする強固な意志あってこそ。ここに倉本聰の真骨頂ありと、膝を打ち納得である。
ちなみに『北の国から』で描かれた暮らしは、傷心を抱えて富良野に移住した倉本の体験ほぼそのままだとか。「住むと決めた場所はただの荒れ果てた森」で「のちに町は電気だけは通してくれたけど、水は、北の沢から引くところから始めました。ゼロからやったんです。」
「電気がなかったら暮らせまんせんよッ」という純の言葉は、実は倉本のものだったかもしれない。
倉本が語るテレビ界の裏話の面白さ
本書では、ドラマ『北の国から』制作中の裏話や倉本と交友関係がある大物俳優たちのエピソードが随所で紹介されており、これがまた実に面白くて興味深い。
たとえば、『北の国から』の裏話としては、
- 「倉本死ね!」と書いた純(吉岡秀隆)
初めて東京から来た子どもをリアルに演じさせるため、純と蛍に石を運ばせ、火を起こさせ、寒さの中で演技をさせた。「今なら児童虐待もいいとこですよ(笑い)」と回想するような現場だったようだ。「純なんかは ”杉田死ね! 倉本死ね!” って台本の裏に書いてました(笑い)」。 - 厳寒の屋外で、寒さに耐えるいしだあゆみ
零下20度にいたる富良野の現地ロケ。出番が終わり室内で暖をとる俳優たち、外でいしだあゆみだけが寒さに震えている。理由を聞くと、「私は4キロの道のりを歩いてきたって設定だから、体を凍らせます」と。その言葉をきっかけに現場の雰囲気がずいぶん変わったという。
ドラマ『やすらぎの郷』(2017年)の豪華な俳優陣と(出典:テレビ朝日)
長くテレビ界で活躍してきた倉本だけあって、本書で裏話が披露される俳優も、八千草薫、笠智衆、石坂浩二、高倉健、萩原健一、浅丘ルリ子、大原麗子‥‥と、そうそうたる顔ぶれが書き切れないほど並ぶ。さらには、ノーベル文学賞作家大江健三郎(大江は東大で倉本の同期)や寺山修司との交流も語られている。
こちらの裏話も小生には興味しんしんで、「そうだったのか」とニヤリとすることしきりであった。その幾つかを紹介すると、
- 八千草薫を起用したドラマ脚本を依頼され、「あの人のおならの音が分からないと書けない」と一度断ったら、八千草から「私のおならの音、分かりません?」という電話がかかり、慌てたという逸話。
- 「やすらぎの郷」のバー「カサブランカ」で、カウンターの中央に石坂宏治、その左右に浅丘ルリ子と加賀まりこがグラスを傾けているシーン。実は、浅丘ルリ子は石坂の元妻であり、加賀まりこは石坂の元彼女。「虚実皮膜(きょじつひまく・事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論)」の面白さが透けて見える。
- 八千草薫(大物政治家の二号役)と森光子(政治家の本妻役)が対面する場面での、シナリオを超えた演技の凄さ。シナリオに書かれていないことを、さりげなくあうんの呼吸で表現する二人の大女優の演技力に感心した話。
- 天皇皇后両陛下(現上皇陛下と上皇后陛下)が、倉本邸を訪問したときの「衝撃」。
- 仏様のようなイメージの笠智衆が披露する、ワイ談の魅力。
‥‥等々、書き切れないので、興味がある方はご自分でお読みいただきたい。
登場人物ひとりずつの履歴書を作る、プロフェッショナルの凄さ
倉本聰がドラマの登場人物一人一人の履歴書、家系図、住む家の間取り、住む土地の地形図等を作成してから、その人物象を具体化していくのはよく知られた話だそうだ。たまたま5月20日、21日放映分の「やすらぎの刻~道」でも、石坂浩二演じる脚本家・菊村栄がその手順を分かりやすく演じてくれていた。
『ドラマへの遺言』のインタビュー時の倉本は83歳(現在は84歳)。本年4月にスタートした「やすらぎの刻~道」の1年分235話の脚本は、既に2018年10月に全て書き上げていたという。80代半ばにして創作意欲も衰えず、頭脳も明晰、胸中の熱気もまだまだ冷めてはいない。
願わくは、本書で構想が語られた『北の国から 1900』(黒板一家のルーツを描いた明治初期のドラマ)をいつの日か見てみたいものだ。
次回の「やすらぎの刻~道」放送を楽しみにされている方、『北の国から』が大好きで全作品を視聴された方、倉本聰という文字を目にすると確かめたくなる方、そんなあなたにお勧めの一冊である。