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石原慎太郎氏逝去
2022年2月1日午前、石原慎太郎氏(89歳)が逝去された。安らかに息を引き取られた(四男・延啓(のぶひろ)氏談)そうだ。
昨年10月に膵臓ガンを再発し闘病中であったが、執筆活動は最後まで続けられていたとか。
その歯に衣(きぬ)着せぬ発言や「自主憲法制定」という政治的主張から、氏を「傲慢だ」とか「右翼」「軍国主義者」などと非難する人もいる。
だが小生は、日本を心から愛し、祖国と次世代の未来を憂慮し続けた「憂国」の人だったと思っている。厳しく気骨ある言動と共に、人情の機微をわきまえたリーダーでもあった。
小生の心に強く刻まれた氏のエピソードを紹介しておきたい。
「この国を救うきっかけができました」、感極まりあふれ出た涙
石原氏で忘れがたいのは、2011年の東日本大震災に伴う福島第1原発事故で、原子炉冷却の放水作業のため、現地に赴いた東京消防庁ハイパーレスキュー隊員達に対し、深々と頭を下げた姿である。
まずは、その時のニュース映像をご覧いただきたい。
◆ 石原慎太郎男泣き 放水作業の東京消防庁隊員 都知事に報告
この時、氏は隊員たちに次のように語ったとされる。
「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。
隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。石原知事は、被爆覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。
さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。
(出典:産経新聞 2011年3月22日)
レスキュー隊員達にねぎらいの言葉をかけながら、感極まって言葉に詰まり、深々と頭を下げた姿。強面(こわもて)で知られる都知事の涙を拝見し、テレビを見ていたこちらも熱いものがこみ上げたことを覚えている。
東日本壊滅を覚悟した10日間
福島第1原発のメルトダウンの恐怖は今でも忘れられない。当時の日本がどれほど危機的な状況だったか、思い出すだけでも背筋が凍る。
最悪の場合、チェルノブイリ原発事故の10倍を超える放射能汚染が起こり、半径250kmの地域(人口五千万人)が住めなくなるだろうとささやかれていた。
五千万人もの人々が一度に避難を始めると、空前絶後の大混乱が起こり、国民の生命、安全、財産は保障できなくなる。
息子と娘が東京に居住していたため、一時、自衛隊と各消防隊の放水作業が停止されたとの報道(後で誤報と分かった)が流れた時は、いよいよこれで終わりかと血の気が引いてしまった。
3月20日頃、原子炉6基の電源が回復され、冷却システムが復旧し始めたと聞いた時は、ほっと胸をなで下ろしたものだ。小生にとってはまさに東日本壊滅を覚悟した10日間だった。
※ 当時の危機的な状況については、本ブログの次の記事をご覧ください。
今だから明かされる裏話
官邸からの応援要請を断った理由
爆発後の3号機原子炉建屋の外観(出典:東京電力ホールディングス)
2022年2月3日の産経新聞では、石原氏が官邸からの消防隊派遣要請を一度は断ったことが紹介されていた。書いたのは、同紙論説委員の阿比留瑠衣(あびる・るい)氏。次のようないきさつだったようだ。
(前略)
だが、実は石原氏は首相官邸からの隊派遣要請をいったん断っている。菅氏に隊員を預けると、どんな危険で無謀な任務を強いられるか分からないと判断していたのだった。
このときは結局、菅政権では物事を動かせないとの事務方の相談を受けた安倍晋三元首相が、石原氏の長男である自民党の石原伸晃幹事長(当時)を介して説得し、石原氏も最終的に派遣要請を受け入れた。当時、事情を知るある官僚にこう言われた。
「菅首相に調整経緯を知られると、へそを曲げて何をするか分からないから、書かないでおいてほしい」
(出典:「福島苦しめる菅(かん)直人氏ら5元首相」、産経新聞令和4年2月3日)
「菅氏に隊員を預けると、どんな危険で無謀な任務を強いられるか分からない」には驚く人も多かろうが、小生はさもありなんとそれほど驚きはしなかった。
消防隊員たちの思い
というのは、以前この件についての石原氏の回想(インタビューによる)を読んだことがあるからだ。
今度は現地の案内係と連絡が取れて、特殊部隊は現場に到着することはできた。しかし、周囲には瓦礫がたくさんあって、なかなか放水できない。ベテランの隊員たちが四苦八苦して、なんとかホースを繋いでいるところに、現地の指揮官に官邸から「早く放水を開始しないと、処分するぞ」と警告が出された。
こんな理不尽なことがあるか。自分たちは現地に行かず、お前らの手違いで人を待たせておいて、命がけの覚悟で現地に赴いた隊員に「命令を聞かなければ処分する」などと高圧的に命令するなど言語道断だ。
(出典:『石原慎太郎氏:今、明かす「天罰発言」の真意』、日経ビジネス電子版 2018年3月29日)
部下でもない東京都消防隊員に、「早く放水を開始しないと、処分するぞ」と威圧する官邸にはあきれるしかない。家族と水杯(みずさかずき)を交わし、ひそかに遺書まで残してきた者までいた隊員へのこの言葉!
石原氏は官邸に強く抗議し、発言した責任者(海江田万里経済産業大臣、当時)は慌てて謝罪したそうである。
当時隊員らに出動を命じた消防総監は次のように証言したという。
知事は決して『やれ』とは命令しなかった。『本当に大丈夫か、できるならやってくれ。頼む』と。隊員への気遣いを感じた。
(出典:「リーダーシップの裏の繊細さ、純粋さ 石原氏死去」、2022年2月2日 産経新聞)
また報告会で石原氏のねぎらいの言葉を聞いた消防隊員の一人は、こう話している。
「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。
上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。
だから現場に行けるんだ」(出典:産経新聞 2011年3月22日)
当時官邸で指揮をとったのは菅直人(かん・なおと)首相。自衛隊の最高指揮官として最も危険な場所で命をかけた自衛隊員をねぎらった、という話はついぞ聞いたことがない。
「だから、現場に行けるんだ」。消防隊員のこの一言が、石原氏の人柄と卓越したリーダーシップを如実に表している。
「巨星墜(お)つ」、また一人惜しい人を失ってしまった。ご冥福を心からお祈りする。安らかにお休みください。 合掌。
東京都知事選挙当選確実の一報の後、選対事務所に駆けつけ手を上げて喜ぶ石原慎太郎氏
=東京・西新宿(1999年04月11日) 【時事通信社】
[…] 石原慎太郎氏のご冥福を祈る 心に刻まれた強面(こわもて)の涙 […]
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