あとからくる君たちへ

あとからくる君たちへ(56) 福島フィフティ、家族とふるさとを守り抜いた人たち_2

投稿日:2022年3月12日 更新日:

福島第一原子力発電所3号機福島第原発3号機(出典:東京電力ホールディングス)

 前回は、福島第一原発事故の概要とその被害の大きさについて説明しました。冷却不能となった原子炉が爆発すれば、日本は3つに分かれた「分断国家」になる危機が迫っていました。私たちは東日本壊滅という最悪の事態を、紙一重で切り抜けてきたわけです。

 今回は原子炉の暴走を防ぐため、発電所内に最後までとどまり、死力を尽くした人々を紹介しようと思います。

※ 前回の記事はこちら >あとからくる君たちへ(55) 福島フィフティ、家族とふるさとを守り抜いた人たち_1

「もう駄目かと何度も」、吉田所長の悲痛な証言

 原発内の免震重要棟で協議する吉田所長

 6機の原発の内、水素爆発が3機、放射性物質が放出されたものが1機。どの原子炉にも発熱を続ける燃料棒が残り、このままでは原子炉容器の爆発は時間の問題。

 この切迫した状況の中、福島第一原発にはまだ600人以上の人々が残っていました。東京電力職員と関連企業の社員の方々です。彼らがおかれた発電所内の状況は次のようなものでした。

  • 地震後の津波で発電所の全電源喪失、非常用のディーゼル発電機も水没
  • 停電により所内の全ての機器が作動不能、照明も点灯不能で建屋内は暗闇の状態
  • 地震と津波により瓦礫(がれき)が散乱、道路も陥没して通行困難。発電所内の施設、設備、機器等が損傷を受ける。
  • 大津波の後、何度も押し寄せる中小の津波と余震が繰り返される。
  • 原子炉冷却に使用する消防車3台の内、2台が運行不能
  • 放射能汚染を防ぐため、所員の作業時間の削減(1回2時間以内)と作業回数が制限される。
  • 事態を十分に把握できない東京電力本社との、対立と争い
  • 最大最悪の危機を迎えた3月15日に菅首相が現地入りし、その混乱による事故対応が遅れる。

がれきや破損機器が散乱する発電所内(出典:東京電力ホールディングス)

 こうして箇条書きするだけで、私は絶望的な気分になってしまいました。人間はこのような過酷な状況におかれた時、果たして精神的に耐えられるのでしょうか。

 吉田所長は、次のように証言しています。

「もう駄目かと何度も思いました。私達の置かれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧も何もかも失った中で機体を着陸させようとしているようなものでした。現場で命を賭けて頑張った部下たちに、ただ頭が下がります。」

(出典:『死の淵を見た男』(門田隆将著、PHP出版))

 疲労の極致にあった所員の様子を伝える、次のような証言もあります。

免震重要棟のトイレは、真っ赤になっていた、と伊沢(引用者注=現場の作業責任者の名前)は言う。
「トイレは水もでないから悲惨ですよ。……(略)……とにかく真っ赤でしたよ。みんな、血尿なんです。あとで、三月下旬になって、水が出るようになっても、小便器自体は、ずっと真っ赤でした。誰もが疲労の極にありましたからね」

(出典:前掲書)

 「これほど厳しい状況だったのか‥‥」、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』を読んだ私は、驚きのあまり言葉を失いました。同時に原子炉の暴走を止めようと超人的な努力を続ける方々に、心の底から感謝の思いが湧き起こってきたことを覚えています。

 

3月15日、最後まで残った69人

最後の写真

放射線量が上昇する中、1・2号機中央制御室(中操)に踏みとどまった男たち(2011年3月12日)

 事故が発生したのが3月11日、その4日後に怖れていたことが起こりました。

 2011年3月15日午前6時過ぎ、前日に原子炉格納容器内の圧力が限界値を超えていた2号機から衝撃音が響き、容器内圧力の数値がゼロを示しました。後で分かったことですが、この時2号機はなんらかの損傷により、全号機の中で最も多くの放射性物質を”放出”したとされています。

 放出された放射能の汚染を恐れ、何もせず手をこまねいていれば、「最悪の事態」が起こってしまいます。

 この最大の危機を迎えた時、吉田所長は「自分と一緒に死んでくれる人間」の顔を思い浮かべていたと、述べています。

「あの時、海水注入を続けるしか原子炉の暴走を止める手段はなかったですね。水を入れる人間を誰にするか、私は選ばなければなりませんでした。それは誰に ”一緒に死んでもらうか” ということでもあります。こいつも一緒に死んでもらうことになる。こいつも、こいつもって、次々、顔が浮かんできました。」

(出典:門田隆将「日本を救った男ー吉田昌郎元所長の原発との壮絶な闘いと死」)

 吉田所長は「各班は、(必要)最少人数を残して退避!」と指示。免震重要棟(注=事実上の復旧センター施設)に残っていた600人以上のほとんどは、約15km離れた福島第二原発へ退避。後には50名を越える技術系の所員が残りました。

 のちに欧米メディアから「フクシマ・フィフティーズ(Fukushima 50)」と呼ばれた方々は、実際には吉田所長を入れて69人でした。

 この日から、死を覚悟し心を一つにした69人が放射能で汚染された原子炉建屋に何度も突入。また陸上自衛隊、航空自衛隊、東京消防庁職員らが、海水による原子炉冷却作業を繰り返し、3月22日に全6機で外部電源が復旧。ついに最悪の事態は回避されたのです。

 福島フィフティーズの命をかけた激闘をもっと知りたいと思うのなら、ぜひ次の本を読んでみることを勧めます。

本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(57) 「私のできることをやるだけ」~ハチドリのひとしずく~   

◆本シリーズの他の記事はこちら >シリーズ「あとからくる君たちへ」関連記事へのリンク

※ 東日本大震災に関係する過去記事

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