あとからくる君たちへ

あとからくる君たちへ(62) 「受けて立つ」覚悟~私を奮い立たせてくれた2枚の写真~

投稿日:2023年1月16日 更新日:

左:「水を運ぶ少年」(画像出典:共同通信社?)
右:「焼き場に立つ少年」(画像出典:『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』)

 前回まで2枚の写真を2回にわたり、紹介してきました。「水を運ぶ少年」は2011年3月、東日本大震災から3日後の宮城県気仙沼市で撮影された写真。「焼き場に立つ少年」は1945年8月、原爆投下後の長崎で撮影されたものです。

 時代も住む場所も違う2人の少年は、人生の大きな苦難に出合った時、ふがいない私を叱咤(しった)し、奮い立たせてくれました。この2人に共通するのは、「受けて立つ」覚悟だろうと(勝手に)思っています。今回はそのことを書きたくなりました。

 なお、本記事は3連作の3回目です。できれば、前2回の記事を先にお読みください。

※ 本シリーズの前2回の記事はこちら >
 ・あとからくる君たちへ(60) 水を運ぶ少年~私を奮い立たせてくれた2枚の写真~
 ・あとからくる君たちへ(61) 焼き場に立つ少年~私を奮い立たせてくれた2枚の写真~

正岡子規の覚悟

 2枚の写真と「受けて立つ」という言葉が重なったのは、白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの講演で、正岡子規の生き方を知った時でした。

白駒妃登美白駒妃登美さん(画像出典:株式会社 ことほぎ公式サイト

 白駒さんの通称は「博多の歴女」。幼い頃より伝記や歴史の本を読み、その登場人物と友だちのように対話することが何よりの楽しみだったそうです。2009年より、歴史が苦手な人でも歴史が大好きになってしまう歴史講座を始め、「こんな歴史の先生に出会いたかった」と涙する参加者が続出。講演会やメディア出演依頼は年間200回を越える方です。

 正岡子規は明治時代の俳人。彼の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句は、あなたも耳にしたことがあるでしょう。

 白駒さんは、子規についてこんなふうに語っていました。

 子規は、脊椎カリエスという難病で34歳という若さで亡くなっています。激痛でこんなに痛いのなら死んだ方がましだと自殺を考えたほど苦しみました。しかし彼はその苦しみの病床で、本当の覚悟というものに気づいていくのです。

 それは、どんなに苦しくても、今という一瞬一瞬は生かされている。その生かされている「今」を平然と生きることが、本当の覚悟なのだと。

 脊椎(せきつい)カリエスは、結核菌が脊椎に感染し損傷させる病気です。ひどくなると体に穴があき、膿が流れ出るほどです。子規は「毎朝寝起ニハ死ヌルホド苦シイノデス」と書くほどのすさまじい激痛に苦しめられていました。

 モルヒネ(鎮痛剤)で痛みがわずかに和らぐ1日数時間を使って、彼は俳句や短歌を創作し、スケッチを描き、随筆を書き続けました。短い生涯に詠(よ)んだ俳句は2万、短歌は2400首と言われています。

正岡子規正岡子規(画像出典:松山市立子規記念博物館

 与えられた厳しい現実を受け入れ、今できる精一杯のことを行い、その人生を輝かせた子規。白駒さんはその生き方を「受けて立つ」という言葉で表現していました。

 

「受けて立つ」厳しさ

 「受けて立つ」という言葉を聞いたとき、私の頭には「焼き場に立つ少年」のことが浮かんできました。

 少年は長崎で原爆に被爆し、地獄のような日々を過ごしたのち、最後の肉親(と思われる)幼い弟を失っています。弟を火葬しようと訪れた河原では、人々の遺体が物のように積み上げられ焼かれています。

 何もできない彼は、それでも無念の死をとげた方々に直立不動の姿勢をとり、精一杯の哀悼(あいとう)の誠を捧げたのではないか。私にはそう思えてなりません。

 千年に一度という大災害に遭遇した少年からも、今できる水汲み作業をやり抜こうとする覚悟が伝わってきます。子規と同じ「受けて立つ」姿勢です。

 「受け入れる」でも「受け止める」でもなくて、「受けて立つ」。受け身のようでありながら、強い覚悟と「今」を全力で生き抜く意志が必要です。

 白駒さんは著書の中で、「受けて立つ」ことの険しさを次のように述べています。

「受けて立つ」という姿勢を貫くのは、
夢や目標の実現を目指す生き方よりも、険しいはずです。

なぜなら、夢や目標は、
好きな分野や得意な分野から、見つければいいのですが、

「受けて立つ」とは、
たとえそれが自分の苦手な分野であったとしても、何が起こっても、
受けて立てる自分であるように、
日々、自己を研鑚(けんさん)していかなくてはならないのですから。

今日、何が起こるかわからない。
明日、何が起こるのか、もちろんわからない。

その一瞬一瞬を、100%素直に受け入れて、
今できる、最高のことをやり続ける。

※ 「研鑚(けんさん)」とは、自身を磨き上げること(引用者註)

(出典:『古事記が教えてくれる 天命追求型の生き方』(白駒妃登美著、富田欣和監修、エイチエス株式会社))

 白駒さんは、「受けて立つ」生き方は日本人の遺伝子に組み込まれているのでは、という仮説をお持ちのようです。なるほど、日本という国は、大きな災害に悩まされ続けてきた国です。台風、地震、洪水、津波‥‥、長い年月にわたり数多くの不幸や災難に遭遇しながら、日本人は「受けて立つ」生き方を遺伝子に刻んできたのかもしれません。

 長い人生、想像もできないほどの苦難や不幸に出合うことが何度かあります。その時は2人の少年のことを思い出してみませんか。眠っていた遺伝子がオンになるかもしれません。

◆ どんなに困難な環境でも「受けて立つ」

丸山千枚田三重県・丸山千枚田(画像出典:photo AC

◆ どんな状況でも、今自分にできることを精一杯やる。

小原宗監

東日本大震災死者への祈り(画像出典:朝日新聞(2011年4月6日))

 

◆本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(64) 

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