佐々淳行氏が10月10日に逝去された。娘のメールで訃報を知り、「また一人敬愛する先達が逝去されたか‥‥」とため息をついてしまった。小生なりに思い入れのある方だったので、弔意を表す記事をなかなか書けなかった。
氏の略歴と業績については、次の新聞記事をご覧いただきたい。
佐々淳行氏死去 初代内閣安全保障室長、正論大賞
産経新聞の正論メンバーで初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が10日、老衰のため死去した。87歳だった。通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日午前11時半、東京都港区南青山2の26の38、梅窓院で。喪主は妻、幸子(さちこ)さん。
昭和5年、東京都出身。東京大学法学部卒業後、29年に国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。警備や公安畑を歩み、44年の東大安田講堂事件、47年のあさま山荘事件など戦後史に残る重大事件で対処に関わった。
香港領事、三重県警本部長などを経て旧・防衛庁へ出向。防衛施設庁長官などを歴任した。61年には内閣安全保障室長に就任。平成元年の昭和天皇大喪の礼の警備を最後に退官した。
現役の防衛庁幹部当時に出版しベストセラーとなった「危機管理のノウハウ」(PHP)などの著作を通じ、日本社会に「危機管理」という概念を定着させ、公職退任後も新聞やテレビなど多方面で活躍。テロや災害から国民の生命・財産を守り損害を減らす備えの重要性を訴え続けた。
国益を重視する現実的な政策提言は歴代政権にも影響を与え、平成13年の米中枢同時テロでは米国の対テロ活動を後方支援するため、自衛隊のイラク派遣を進言。小泉純一郎政権によって実現された。
正論メンバーとしても長く正鵠(せいこく)を射る持論を展開、19年には第22回「正論大賞」(18年度)を受賞した。(出典:「産経新聞」平成30年10月11日)
著書『危機管理のノウハウ』
佐々氏の著書『危機管理のノウハウ』は、拙ブログの「バトン・パス」コーナーでいつか取り上げるつもりでいた書籍である。息子や娘に(そして孫にも)必ず読んでもらいたい本の一つとして、そのうち紹介するつもりだった。
小生が本書を読んだのは、30代後半のことと記憶する。「危機管理」という聞き慣れぬ言葉に興味を引かれて購入した書籍だが、これが「目からうろこ」。赤ラインを引きまくり、夜が更けるのも忘れて読みふけった記憶がある。
有名な「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」をはじめ、「二人の良将より一人の愚将」、「不決断は誤判断より悪い」、「戦略的には理想主義、戦術的にはリアリスト」等の貴重な箴言が、歴史上のエピソードや氏の実体験と併せて紹介されている。これらは、小生の人生の岐路で大きな支えとなったし、現在も生きる教訓である。
数多くの危機を実際に体験され、切った張ったの修羅場で指揮をとった人物で、これほどの知見と教養を備えた人物がいることを、本書で初めて知ったのである。その痛快で切れ味鋭い論評は、さすが後藤田元官房長官の腹心の部下だったわけだと、得心した次第。
戦国武将の佐々成政(さっさ・なりまさ)の末裔で「佐々家の家名を汚すことなかれ」と厳しく教育されたとか。17歳のころ父弘雄氏が亡くなり、奨学金で東大に進学。
職業選択にあたり「国民の税金で卒業できた。恩返しに全体の奉仕者となる」と決心し、国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁されたと聞く。
「わが人生に悔いなし」
平成19年に第22回「正論大賞」(産経新聞社)の受賞が決まった際には「『危機に臨んで何をなしたか』については私の右に出る役人はいない。『わが人生に悔いなし』である」と回想されていた。
(出典:「阿比留瑠比の極言御免 佐々氏が見た菅元首相」産経新聞 平成30年10月12日)
戦後のわが国の危機の現場で指揮をとり続け、平成元年の昭和天皇大喪の礼の警備を最後に退官。公職退任後は、今日まで30年間にわたりテロや災害から国民の生命・財産を守り、損害を減らす備えの重要性を訴え続けた。
「わが人生に悔いなし」とおっしゃる功績に対し、多大の敬意と感謝を表したい。
衷心よりご冥福をお祈りする。合掌。