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映画『砂の器』(2) 「原作を超えた」見事なシナリオ

投稿日:2018年11月29日 更新日:

◆前回の記事はこちら >映画『砂の器』(1) 涙腺がゆるみっぱなしだった出合い

原作には、親子の旅の描写がない!

砂の器

 映画『砂の器』の原作は松本清張の同名小説。文庫本で2冊、合わせて800ページを超える長編である。30代前半に映画で大きな感動を受けた小生は、さっそく原作を手にとってみた。松本清張があの親子の放浪の旅をどのように描いたのか、実際に確認したかったのだ。

 ところが、親子の放浪の旅については、次のような記述しか見つけられなかった。

 「(略)、千代吉がああいう病気になってから、すぐに妹は別れました。(略)ところが、千代吉は子煩悩で、秀夫を連れて旅に出ていったのです」

(新潮文庫版『砂の器(下)』十三章。秀夫の伯母である山下妙(たえ)の言葉。改行及び漢字ルビ省略は引用者。)

 本浦千代吉は、発病以後、流浪の旅をつづけておりましたが、おそらく、これは自己の業病をなおすために、信仰をかねて遍路姿で放浪していたことと考えられます。
 本浦千代吉は、昭和十三年に、当時七歳であった長男秀夫をつれ、島根県仁多郡仁田町字亀嵩付近に到達したのでありました。

(前掲書十七章。今西刑事の捜査会議での説明、漢字ルビ省略は引用者。)

砂の器

©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 映画『砂の器』のハイライトとも言える父と子の放浪の旅。白装束の遍路姿で身を寄せ合うように旅を続ける千代吉と秀夫。情感豊かに描かれる親子の交流と絆の強さは観る者の心を揺さぶり、二人が受けた差別と理不尽な扱いは観る者の胸をえぐる。

 その肝心の旅のエピソードが原作に皆無とは‥‥。清張の筆の冴えを期待していたこともあり、いささか拍子抜けした記憶がある。

 

橋本忍と山田洋次、脚本制作の裏話

橋本忍

在りし日の橋本忍氏(出典:橋本忍生誕100年記念事業ウェブサイト

 実は親子の旅のディティールは、脚本を担当した橋本忍氏と山田洋次氏の創作だったと言うのが定説だとか。

 その間の経緯を山田氏が語った資料も残っているようだ。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の砂の器ページでは、その経緯が「エピソード」として紹介されている。

 引用すると長くなるので、小生なりに要約すると次のようになる。

 原作が長くて複雑すぎて、とても映画になりそうもない、とさじを投げかけた山田洋次に、橋本忍が次のようなアイディアを出した。「小説に書かれていない、親子にしかわからない旅の場面がイメージをそそらないか」、「親子の浮浪者が日本中をあちこち遍路する。そこをポイントにできないか」と。

(出典:山田洋次、川本三郎「清張映画の現場」、『松本清張研究』第13号、北九州市立松本清張記念館、2012年)

 そう言われると、親子の乞食が雪の降る海岸や、桜の村里、あぜ道を歩いているイメージが一気に湧いてきて、シナリオを書きはじめることができた。原作に数行書かれた親子の放浪の旅を、想像力でふくらませたのがラスト40分の回想のシーンだと言うのである。

砂の器シナリオ

『砂の器』シナリオとその原稿(出典:橋本忍記念館ウェブサイト)

 さらに、捜査会議の日と犯人(和賀英良/本名:本浦秀夫)の新曲発表会の日を同じ日にしたらどうだろうか、というアイディアも出たようだ(原作では和賀英良は羽田国際空港で逮捕される)。

 同じくウィキペディア(Wikipedia)からの孫引きで恐縮なのだが、

 「ちょっといいこと考えた」「(前略)その日は和賀英良がコンサートで自分が作曲した音楽を指揮する日なんだよ。指揮棒が振られる、音楽が始まる。そこで刑事は、和賀英良がなぜ犯行に至ったかという物語を語り始めるんだ」「音楽があり、語りがある、それに画が重なっていくんだ」(以上橋本)、ということで、それからは早かったですね」

 (山田洋次、川本三郎「清張映画の現場」、『松本清張研究』第13号、北九州市立松本清張記念館、2012年)

 他方橋本は、そのような構成を取る構想は最初からあったかという(白井佳夫の)質問に対して、「昔から人形浄瑠璃をよく見てた。だから右手に義太夫語りがいて、これは警視庁の捜査会議でしゃべっている刑事。普通はその横に三味線弾きがいるけど、逆に三味線弾きは数を多くして全部左にいる。真ん中の舞台は書き割りだけど親子の旅。」

( 白井佳夫、橋本忍「橋本忍が語る清張映画の魅力」、『松本清張研究』第5号、砂書房、1996年。)

 さすがは、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『八甲田山』など、日本映画の名作脚本を手がけた橋本忍である。

 捜査会議、親子の旅の回想、そしてコンサート、この三者を同時にスタートさせることで、殺人事件の謎が解明され、親子の隠された過去が明らかとなり、現在の和賀英良の心理がうかがえる。

 これら三者は、哀切な音楽を背景に共鳴しつつ同時進行し、ラストの和賀英良の会心の笑顔に収斂していく。素晴らしい構成力としか言いようがない。

 映画『砂の器』は、殺人事件の謎を解くという推理物の醍醐味を押さえつつ、深く大きな感動を喚起する人間ドラマを付加する、という離れ業を見事に成功させている。

 本作を観た松本清張をして「原作を超えた」と言わしめたのは、原作にはないこのラスト40分の描写の素晴らしさにあったのだろう。

砂の器

©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 

◆本記事の続きはこちら >映画『砂の器』(3) 伝説の名子役とまれにみる名優の共演

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