以前、本ブログで触れたことのある『昭和の子役 もうひとつの日本映画史』(樋口尚文、国書刊行会)を拾い読みしてみた。
目を通したのは、映画『砂の器』で子役を演じた春田和秀氏に関する部分だけである。著者の樋口尚文氏の見立てが興味深かったので、備忘録も兼ねて紹介させていただこう。
※ 以前の関係記事はこちら >『砂の器』の名子役・春田和秀氏のインタビュー記事を発見!
10ヶ月も小学校に行けなかった撮影ロケ
『昭和の子役』は、60~70年代に映画やテレビで活躍した伝説の「子役」たちへのインタビューを通して、昭和のエンタテインメントの世界をとらえ直してみようとする作品である。「初インタビューや資料が満載、初めて明かされる秘話や事実を掘り起こした、もうひとつの日本映画史」というセールスコピーの作品である。
春田和秀氏の章は、「『砂の器』で背負った壮絶なる子役の宿命」というサブタイトルが付けられていた。
樋口氏が最も注目していたのは、『砂の器』のロケーション撮影のために、春田少年(当時6~7歳)が10ヶ月も小学校に通っていないという、「無茶な」現実だったようだ。この件については、本書の「はじめに」の部分で次のような所感を記している。
『砂の器』で悲惨な宿命を背負う少年は、故郷を捨てた酷薄な旅路で四季の日本を彷徨する。だが、ロケ隊とともに旅してその少年を演じた春田和秀は、ほぼ十か月もまともに小学校に通うことができず、劇中の愉しげな田舎の学校の様子を遠目に見て羨ましそうにしているシーンは、ほとんど実話であった。良いものを創るためとはいえ春田少年にここまで本来の生活を捨てさせたスタッフの大人たちの発想は、いかにも「昭和」的であり、現在の感覚では厳重に是正さるべきものかもしれない。しかし、この無茶によって生み出された春田少年の表情は、四十余年を経ても観客を疼かせ、号泣させる異様な力に満ちた映画を生んだ。
(出典:前掲書)
小学校の運動場を眺めるシーンについては、春田氏本人も「あの場面は、どうしてもそうやって仕事で全く学校に行けない自分自身を重ねていました」、「‥‥さすがに学校に行きたいなあって、すごく思いましたから。」と本書で回想している。
10ヶ月間学校にも行かず日本全国をロケして回っていたということは、言い換えれば、10ヶ月間撮影に専念するしかなかったということだ。春田少年には大変酷な言い方だが、学校生活や友人から隔離され、終日撮影と向き合わざるを得なかった環境が「刹那の輝き」を生んだという樋口氏の指摘は、的を得ていると思う。
春田氏が回想する撮影現場の熱気
本書で興味深かったのは、春田氏の回想からうかがえる撮影現場の様子である。引用すると冗長になるので、適宜整理して箇条書きすると、次のようなエピソードが語られていた。
- 冒頭の、砂を盛って器をこしらえるシーンだけでも、夜明けの曙光を狙って3日4日は撮り続けた。
- わずか5秒10秒のカットに半日かけるような、ていねいな撮り方をしていた。
- 村の駐在が自分を道から突き飛ばすシーンは、監督の指示で何度も何度もやり直しをした記憶がある。
- 何度もやり直しをさせられた理由は二つ。一つは現在のようにその場でモニターを見てテイクを検証できないため。いま一つは、(自分が幼すぎたため、演技の意図を説明するよりは)いろいろ演じさせてみて、そこからいいものを拾っていくやり方をとったと思う。
- 駅で父親と別れる場面では、当時SLが走っていなかったので、特別にC12を呼んで動かしてもらった。撮影は亀嵩駅ではなくてお隣の出雲三成駅で行い、そこにSLを待機させてはタイミングを見て動かして‥‥みたいなことをやっていた。
今では考えられないような、ていねいで「贅沢な」撮影風景である。5秒10秒のカットを半日かけて撮ったり、1シーンのためにわざわざSLを走らせるとは。しかもロケは九州以外の日本全国を縦断する規模である。制作費も相当なものだったろう。古き良き時代だったのだ。
『砂の器』阿寒ロケ キャメラ後ろ・川又昻キャメラマン(1974年・昭和49年9月末)
(出展:「キャメラを振り回した男 撮影監督・川又昻の仕事」)
ここからうかがえるのは、「少しでもよい作品に仕上げたい」、「狙い通りの映像を撮りたい」というスタッフの「熱さ」である。春田氏によれば、監督とカメラマンは、肝となるシーンではワンカットごとに「凄く熱っぽく話し合って」撮影を進めていたとか。
「プロフェッショナルな大人たちの意気ごみはものすごくて、その熱気のなかに子どもの僕がポツンといる」という状態だったようだ。
ここから先は小生の勝手な推測だが、10ヶ月にも渡り、大勢の大人たちが全力で撮影に取り組む姿に接した影響は極めて大きいと思う。恐らくその熱気が幼い春田少年に伝染し、「自分もいい加減なことはできない」という無意識の覚悟のようなものが芽生えた、と想像するのはうがち過ぎだろうか。
樋口氏は、「あとがき」でこのあたりの映画制作の機微にふれ、次のような感想を述べている。
しかしまたこの当時は、子どもだからと手加減することなく、テレビや映画の作り手たちが熱気あるものづくりの現場に彼らを巻き込んでいった時代でもある。このいいものをつくるための無茶がまかり通った季節を生きたからこそ、子役たちは忘れがたい作品群のなかに自らの姿を刻むことができた。
(出典:前掲書)
10ヶ月間撮影に専念せざるを得なかった環境と、撮影スタッフの異様な熱気。この二つが春田少年の何かを呼び起こし、胸を打つ「刹那の輝き」を生んだことは、新しい発見であった。
出展:映画『砂の器』シネマ・コンサート2019|PROMAX
※ 映画『砂の器』に関する過去記事はこちら >
映画『砂の器』(1) 涙腺がゆるみっぱなしだった出合い
映画『砂の器』(2) 「原作を超えた」見事なシナリオ
映画『砂の器』(3) 伝説の名子役とまれにみる名優の共演
『砂の器』の名子役・春田和秀氏のインタビュー記事を発見!
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