あとからくる君たちへ

あとからくる君たちへ(21) 花かげの花守りたち

投稿日:2019年6月13日 更新日:

咲き誇る桧原桜

咲き誇る桧原桜(出典:イセバ

 来年の桜の頃に、ぜひ訪れたい場所があります。それは福岡市南区の「桧原(ひばる)桜公園」。桜の名所であると同時に、多くの花守りたちの物語が語り継がれてきた場所です。

 今回は、その「桧原桜の花守りたち」のエピソードを紹介したいと思います。桜の季節はとうに終わってしまいましたが、少し耳を傾けてみてください。

 

先駆けて花のいのちを乞う

 今から35年前の昭和59年(1984年)3月11日(日)の夜明け前のことです。50代の一人の男性が、通称「桧原桜」数本に手書きのメッセージを結びつけたことから、あの「事件」が始まりました。

 薄暗がりの桜並木にかけられた色紙には、次のように記されていました。

 花守(はなも)り 進藤市長殿

 花あわれ
 せめてはあと二旬(にじゅん)
 ついの開花を
 ゆるし給(たま)え

桧原桜にかけられたメッセージ

桧原桜と助命嘆願の色紙(出典:西日本新聞社)

 当時の進藤一馬(しんとう・かずま)福岡市長を「花守り」と呼び、せめてあと「二旬(=20日間)」桜の伐採を待ち、「つい(=最後)」の開花を許してやってほしい、という命乞いの訴えでした。

 その間のいきさつを、色紙を書いた土井善胤(どい・よしたね)氏は、次のように記しています。

 昭和五十九年の春、三月の初めでした。
 枝にしがみついて、北風の寒さに耐えていた桜の蕾が、春一番の風信にちょっと頭をもたげて、陽気をうかがっていました。
 ‥‥(略)‥‥

 あと二十日もすれば、福岡市南区の、通称 ”桧原桜(ひばるざくら)” は満開でしょう。
 しかし、悲しい運命(さだめ)が待っていました。道路の拡幅のために、樹齢五十年の桜並木が明日にも伐(き)られそうで、その風情が哀れでした。

 花が開くまで、あとしばらく伐るのは待ってほしい。せめては、終(つい、「最後」のこと)の開花を許してほしい。そう願って私は、桜をこよなく愛した進藤一馬福岡市長に ”花守り” の名を捧(ささ)げて、夜明け前の桜並木に命乞(いのちご)いの色紙をかけたのです。

(出典:土井善胤、『花かげのものがたり』)

 たった一人のやむにやまれぬ行動が、この後大きな波紋を巻き起こし、やがて「桧原桜物語」をつむぐことになるとは、このとき誰が予想したでしょう。

 

人の心の花ふぶき

 桜にゆわえられた無名のメッセージ、これを目にした人々は誰に言われるでもなく、それぞれに行動を起こしていきます。

  • 色紙がかけられたのが日曜日。翌日の月曜日は桜は切られませんでした。火曜日も、水曜日も‥‥。1週間たっても桜の伐採は行われません。恐らく色紙を見た業者の方が伐採を見合わせて、市に連絡したのでしょう。
  • 朝のジョギング中にこの色紙を見た川合辰雄(かわい・たつお)九州電力社長(当時)は、「何とかならないものか」と周囲に相談し、同社の広報部長が地元の西日本新聞社に連絡してみました。
  • 西日本新聞の松永年生(まつなが・としお)記者(当時)は、現地で「花あわれ」の色紙に共感し、精力的に取材を行った結果、3月23日(金)の同紙夕刊に桧原桜の記事が大きく掲載されました。
    「桜あわれ 最後の開花許し給え」の大見出しに、「短歌に託し命乞い」と「通じた住民の風流」、「市、並木の伐採延期」の小見出しがついた記事です。
桧原桜

出典:西日本新聞社

  • この記事には、近所の主婦の応援の和歌も添えられていました。

先がけて 花のいのちを 乞う君の
われもあとにと 続きなん      (瀬戸妙子)

 

「われもあとにと続きなん」、詠み人知らずの大合唱

 その後、新聞やテレビで桧原桜のことを知った多くの人々が、花を惜しむ歌の色紙や短冊を持ち寄り、木に掛けていくようになりました。まさに「われもあとにと続きなん(=私もぜひ後に続いていこう)」という共感のエールです。

今も桜の季節には歌を寄せる人が絶えないとか

 そのうちのいくつかを紹介すると、

春は花 夏は葉桜 幾年(いくとせ)を
なぐさめられし 並木道かな

年どしに 賞(め)でし 大樹の このさくら
今年かぎりの 花をはぐくむ

雨風よ しばしまたれよ 終(つい)の花
別れおしまん すみきえるまで

今年のみの さくらいとしみ 朝ごとに
つぼみふくらむ 池の辺に 佇(た)つ

千の人 万の人らに おしまるる
さくらや今年を ついのさかりと

歌にたくし 花の命を乞う人の
情け拡(ひろ)ごる 春はかなしも

 桜花爛漫(おうからんまん)に咲き誇る桜、その枝につるされた数十枚の短冊や色紙、それらがうららかな春風に揺れ動く様は、どんなにか美しいものだったでしょう。

 桧原桜にかけられた数多くの和歌の中に、ひっそりと「香瑞麻(かずま)」という雅号の次のような一首もありました。

桜花(はな)惜しむ 大和心(やまとごころ)の うるわしや
とわに匂わん 花の心は

 桜の花(の短い命)を惜しむ、うるわしい日本人の心が花の香りと共に永遠に続いてほしい‥‥、そんな想いが込められた歌のようです。

 実は、「香瑞麻」というのは福岡市長・進藤一馬氏の号であり、この歌は市長からの返歌だったのです。

 進藤市長は、のちに次のように回想しています。

 …たとえ市長である私がどう思っても、個人としての私情ではどうにもならないことが行政には多々ある。だから桜の木は切り倒されるかもしれない。

 だが、あなたの花を愛する心情は確かに受け止めたという気持ちを託しました。

 幸い、担当部門での検討の結果、九本のうち八本は歩道の中に組み入れることで残され、新しく並木用に桜の若木二本も植えられることになった

(出典:進藤一馬 [述]、江頭光著、『雲峰閑話  進藤一馬聞書』)

 こうして数多くの花守りたちの思いと行動が見事に響き合って、桧原桜は「終の開花」が許されただけでなく、「永久(とわ)の開花」への道が開かれることになりました。

 この「事件」から35年、今一帯は「桧原桜公園」として整備され、現在にいたっています。桜並木も、生き残った8本に新しく植えられた5本が加わり、13本になったそうです。

 園内には「花あわれ」の歌と進藤市長の返歌が刻まれた歌碑が建てられ、今も桜並木を見守っています。

桧原桜公園の歌碑

写真右下の歌碑に土井さんと進藤市長の歌が刻まれている。

 

追記

 この逸話はかなり有名な話で、何度も新聞、雑誌、テレビ等で取り上げられているようだ。義務教育の道徳の副読本にも掲載されていると聞く。

 恥ずかしながら、小生はこの話を全く知らなかった。和歌が桜に結ばれた昭和59年当時は31歳、仕事と子育てに日々追われており、ローカル紙の西日本新聞には目を通していなかった。

 今年の3月11日に産経新聞に掲載された「桧原桜 日本人のコミュニケーション」(施光恒)を読み、初めて知ったという次第。

 あれこれと情報を集めていくうちに、最初に色紙を桜に掛けた土井さんの著書『花かげの物語』に出合い、一読。いたく心を打たれたのである。

「花かげの物語」表紙

 今回、ご存じの方も多い「桧原桜」について記事を書いたのは、本ブログの「あとからくる君たちへ」シリーズにぜひ取り上げたいと思ったから。

 「行動を起こすことの大切さ、一つのことから人々の連帯が広がっていく不思議さと素晴らしさ」を感じ取れる、実に魅力的な逸話だと思った。

 『花かげの物語』には、ここで紹介した以外にも多くの興味深い事実が記述されており、筆者の温かいお人柄がしのばれる文章も相まって、楽しく読ませていただいた。ぜひ一読をおすすめしたい。

 


※ 参考情報

◆アニメーション動画「花守りたちの心のリレー ~桧原桜物語~」(出典:福岡市政だよりWEB版)
 福岡市が制作したアニメーション動画のようだ。実にうまくまとめている。ただ、多くの詠み人知らずの和歌に触れていないのが残念。

◆「桜並木よ永遠に ~想いが繋ぐ魂のリレー/奇跡体験! アンビリバボー」(出典:フジテレビ公式サイト)
 2017年4月20日に放送された「奇跡体験! アンビリバボー」の内容紹介記事。実際の動画は、このサイトにはアップされていない。Youtubeで「桧原桜 アンビリバボー」で検索すれば、ヒットするかも。

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