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安倍元首相の国葬儀が終わった。前に踏み出さねば。

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 安倍元首相の国葬儀が終わった。「日本国民統合の象徴」である天皇陛下の勅使も参列され、厳粛な中にも思いのこもった葬儀であった。

 これで気持ちの整理ができ、やっと前に進むことができそうだ。

※ 天皇陛下が葬儀に臨席されるのは、先帝陛下の国葬儀「大喪の礼」だけとのこと。

整然と続く一般献花の長い列

 九段坂公園に設けられた一般献花台。公式発表によれば、献花者数は2万5889人(2022年9月28日、磯崎仁彦官房副長官発表)とのこと。

 10時から献花開始予定だったのが9時半に早められ、16時の献花終了時間も「17時までに整列に参加すれば、献花可能」に変更された。

 その様子を取材した動画も YouTube に公開されているので、興味がある方はご覧いただきたい。行列は4km続き、献花できるまで4時間待ちだったというから、驚くしかない。

◆ 一般献花に4時間待ち行列 安倍元首相の国葬会場周辺から4km超…(3分29秒)
  https://www.youtube.com/watch?v=DR9tTfzcdCk

 20人が同時に献花できる献花台が設置されたが、「最後の1人が献花を終えたのは午後7時25分頃。当初の終了予定から3時間以上が過ぎていた」(2022年9月28日産経新聞記事)という。午前9時30分から約10時間、途切れることのない献花の列だった。

 各メディアの報道によれば、都民だけでなく日本全国から多くの人が訪れてきたようだ。9月下旬とはいえまだ残暑厳しい時季、屋外で長時間にわたり整然と並び続ける方々を拝見し、胸が熱くなったのは小生だけではあるまい。

 この2ヶ月間の異常とも思える国葬反対報道と安倍叩きに対し、抗議と怒りを示そうとする静かな意思を感じた。

 4時間待っても、4km並んでも献花したい。どんなに時間がかかっても、どんなに遠くても、自らの手で花を供え、安倍元総理に感謝とお別れの言葉を告げたい。そんな熱い思いと静かな覚悟が伝わってきた。

 このような追悼の機会を国民に提供してくれただけでも、国葬儀はやる価値があったし、やって良かったとつくづく思う。

 追悼の辞で菅前総理が献花に訪れた若者たちにふれ始めると、もうだめである。涙があふれて止まらない。

 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

 二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

(中略)

 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

(菅前首相の追悼の辞より)

 

デジタル献花の数 50万人突破!

 昨日デジタル献花サイトをのぞいてみると、献花数が510,565(2022年9月30日午前5時30分頃)となっていた。

 小生が献花したのはサイト開設間もない頃で、献花数も8万くらいだったと記憶する。当初、大半のマスコミは献花サイトを紹介もせずにダンマリを決め込んでいて(と小生は考えている)、SNSを中心に情報が拡散していったようだ。

 国葬当日(9月27日)の午前9時過ぎにのぞいた時は、約21万人。そして29日午後には、50万人突破! 

 この3日間は、1日10万人ペースの献花数だった。小生と同様、諸般の事情で九段坂公園には行けないが、「せめてネット上で花を手向け、お別れの言葉を伝えたい」と願う方々が殺到したようだ。

 この献花サイトを開設してくださった有志の方々に、心からお礼を申し上げたい。ありがとうございます。あなた方のおかげで、弔意を示すことができた国民が少なくとも50万人以上いるのです。

 

菅前総理の追悼の辞に涙

 どなたも涙を禁じ得なかったと絶賛しておられた追悼の辞。この人こそ将来の総理になる方だと見抜いた出合いから、自信を失った安倍さんを3時間にわたって説得したいきさつ。共に日本を救うために闘い続けた日々を述懐する。

 「あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せでした」との言葉に落涙。テロリスト安重根の凶弾に倒れた伊藤博文を安倍氏に、残された山縣有朋を自らに重ねた掉尾(ちょうび)の歌でまた涙するしかなかった。

 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 来年は古希の小生、これまで数多くの葬儀に参列し、それなりの数の弔辞(追悼の辞)を聞いてきたが、拍手が起こったのは初めての経験だった。

 国葬儀に参列した熊谷俊人千葉県知事は27日、自身のTwitterで、こう発信していた。「外国からの参列者が葬儀の厳粛さを超えて思わず拍手し、それが会場全体へとさざ波のように広がった光景が印象的でした。」

◆ 菅前総理の追悼の辞(全文)

 7月の、8日でした。

 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

 その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

 あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。

 あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

 季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

 口惜しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

 しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

 20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。これが、あなたの口癖でした。

 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

 平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

 私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

 すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

 信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

 その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

 私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

 最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

 3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

 総理が官邸にいるときは、欠かさず、1日に1度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

 TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

 一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。

 どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

 国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

 そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せでした。

 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。

 衆議院第1議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。

 ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

 総理、いま、この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

 どうか安らかに、お休みください。

令和4年9月27日 前内閣総理大臣、菅義偉

 菅前総理に追悼の辞を依頼したのは、安部昭恵夫人だったという。

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