今、東京の娘の自宅でこの記事を書いている。昨日ブログの「お休み宣言」をしておきながら、翌日にはこんな記事をアップしているとは……。
老人の気まぐれとお許しあれ。実は、今回の記事は初めての「ノマド・ワーク」なのだ。ノマド(遊牧民)のように移動しながら、ICT(情報通信技術)を利用してする仕事(?)である。
試しにこれからブログ記事をアップ(公開)してみようと思っている。記事の草稿は、昨日東京へ移動する新幹線の車中で書いたもの。
果たして皆様にご覧いただけるものか、ちょっと楽しみである。
公開から43年ぶり、初めて『砂の器』の思い出を語る!
東京に向かう新幹線車内で、ネット検索中に映画『砂の器』の秀夫を演じた春田和秀氏(52歳)の近影を発見した。
春田氏は、昨年(2017年)40年以上の沈黙を破り、『砂の器』撮影当時のエピソードを語り始めたそうである。
関係サイトはこちら >“伝説の名子役・春田和秀(少年・本浦秀夫役)がはじめて語る『砂の器』の現場” 前編、後編/砂の器 シネマ・コンサート開催記念 特別インタビュー
上記サイトでは『砂の器』の思い出を語り始めた経緯が、次のように紹介されている。
ピアノと管弦楽のための《宿命》が演奏されるなか、遍路の父子が日本の四季を壮絶に旅する『砂の器』のクライマックス。そこでひとこともセリフが無いにもかかわらず、観客を感動の渦に巻き込んだのが少年・本浦秀夫に扮した子役の春田和秀さん。そもそもテレビや映画で売れっ子の子役だった春田さんだが、7歳から8歳にかけて撮影された『砂の器』はもちろん圧倒的な代表作。
若き日に俳優業から離れた春田さんは、ずっとこの映画の記憶を大切に大切に封印してきた。そして今回、公開から43年ぶりに初めて、熱烈なファンの皆様のために『砂の器』の思い出を語る!
春田さんへの初ロングインタビューをはじめ、当時の子役たちに徹底取材した『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』(国書刊行会/8月刊)の著者・樋口尚文の問いに春田さんが答える圧巻のスペシャル・インタビュー!(全2回)
(出典:前掲サイト)
興味を引かれた点
小生がこのインタビューで興味を引かれたのは、次のような点。
- 秀夫の額の傷は、もともと春田氏の額にあったものを利用(?)した。
- 当時は、秀夫が置かれた境遇や映画の内容を理解できていなかった。
「僕はまだ小さかったので、この映画がどういう内容なのか、どういう流れで自分はどう映っているのかは、ほとんど理解できてなかったんです 」 - 撮影時のスタッフの熱気(本気度)がすごかったこと。
- 何度もやり直しをした場面の思い出
泣きながら線路を走るシーン。村の駐在から突き落とされ、額にけがをするシーン等 - 「死ぬほど寒かった」青森県竜飛岬(たっぴみさき)でのロケで、父親役の加藤嘉氏に「懐炉代わり」にされたこと。
- 登場シーンに台詞(せりふ)がないことについて
「セリフがない部分に、皆さんがご自由に感情を入れ込めるような形が取られていることで、僕も重大さに気づくことがありますね」 - 撮影が長く続き、ほとんど学校に行っていないこと。
前掲サイトの他に「映画.com」サイトにも、氏のインタビュー記事がアップされていた。関心のある方はこちらもどうぞ。
関係サイトはこちら >「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん 43年を経て語る子役という“宿命”(1) 同(2) 同(3)
春田氏が「沈黙」を破るきっかけとなった『「昭和」の子役 ― もうひとつの日本映画史』(樋口尚文 編・著、国書刊行会)が読みたくなり、北九州市立図書館検索システムにアクセスしてみる。1冊だけ貸出可の本があったので、さっそく予約申し込みを行う。
なんとも便利な時代になったものだ。新幹線の車中で情報を検索・閲覧し、図書貸し出しの予約申し込みまで出来るとは。やろうと思えば情報発信(ブログ記事のアップ)まで可能である。
社会とのつながりが希薄となり、行動範囲が狭くなりがちなシニアにこそICT(情報通信技術)のスキルは必要だと、実感した次第。
よろしければ、映画や映像作品に関する他記事もどうぞ。「書きたい」と思った作品の記事だけなので、数は多くはありません。お役に立つ情報があれば幸いです。
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