7月23日に開会式が行われる東京オリンピック、その大半の会場で無観客開催が決まった。
「オリンピックをやる意味があるのか?」
「しらけてしまう」
「盛り上がりに欠ける。無観客ならやらない方がまし!」などという声さえも聞こえてくる。
この5年間「この日、この時」に全てを懸けてきたアスリートに思いをいたせば、「しらけてしまう」とは余りに心ない言葉ではあるまいか。
やる意味があるのかと疑念をお持ちの方は、次の動画(4分8秒)をご覧いただきたい。ご記憶に残っている方も多いと思うが‥‥。
◆”Tokyo Japan 2020 Olympics City Share the Pulse”
本動画が上映されたのは、今から8年前の2013年9月7日(日本時間9月8日)。場所は、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会の会場。
2020年夏季五輪開催都市を決定する会場で、東京が提案したプレゼンテーション動画数本の中の1本である。
タイトルは “Share the Pulse”。「パルス(鼓動)を共有しよう」とでも訳せばよいのだろうか。真夜中過ぎに中継放送でこの動画を視聴した小生は、その見事な出来映えにうなってしまった。
挑戦する力、人をつなぐ力、希望をもたらす力、新たな夢と笑顔を生む力‥‥。スポーツの持つ力と素晴らしさが見る者の心に伝わり、胸を熱くさせる映像は、実に分かりやすく秀逸であった。
東日本大震災から2年余り、未だ復興の道が見えなかった当時の日本。だからこそ、この夢を実現するためにオリンピックを招致したいんだ、とのメッセージが伝わってくる。
感染拡大と出口の見えない自粛の日々が続き、やり場のない思いをどこかにぶつけたいという気持ちは分からなくもない。
未曾有(みぞう)のコロナ禍への対応に追われ、スポーツの力を改めて世に問い、広範な応援態勢を築けなかったJOCや東京都、競技団体にも反省の余地はあると思う。
しかし、選手たちには何の罪もない。最悪の状況の中、競技場で孤独な戦いを余儀なくされる彼らに届くのが否定的な言葉だけだとしたら、何と寂しく情けないことだろう。
会場で生の応援はできないまでも、選手と大会関係者、陰でコロナ禍と戦っている医療関係者にできる範囲で声援を送りたいと思う。
2021東京五輪のレガシー(遺産)は、「最悪の状況下でも、勇気と希望を与えてくれた選手とサポーターの姿だった」。
後年、そのように評価される大会であることを願う。
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