地獄と極楽、その違いは?
ある人が地獄と極楽を見学に出かけました。
まず最初に見学したのは地獄です。目を引くのは、いたるところに設けられている大きな食卓です。どの食卓にもたいへんおいしそうなご馳走が、山のように並んでいます。そして、大勢の地獄の人々が、そのご馳走の間を行き来しています。
しかし、どの人もやせていて骨と皮のようです。一方の手は使えないように縄で縛られ、もう一方の手には1メートル以上もある長い箸を持っています。人々はおなかをすかせて、箸をしきりに動かし、ご馳走を口に入れようとするのです。ところが、箸が長すぎてご馳走は口にほとんど入りません。
いい匂いのする山のようなご馳走を目の前にして、地獄の人はだれも皆、耐えられないほどの飢えに永遠に苦しみ続けなければならないのです。
次に隣の極楽を見学することにしました。極楽の様子は、意外なことに地獄と変わりません。食卓の上のたくさんのご馳走も同じ。長い箸を持たされた人が何人も行き来しているのも地獄と同じです。
しかし、どの人もみな健康そうで、実に幸せそうに見えました。みんなニコニコと笑顔で、やせ細っている人は一人もいません。なぜでしょう? どの人もみな、ご馳走を箸ではさんでは、それを自分の口ではなくて、自分の周りにいる人の口に入れているからです。
この話は、思いやりの心、助け合いの心があるかないかで、われわれが住む世界が地獄にも極楽にもなることを教えてくれます。
私たちの心の中には、仏もいれば怖い鬼もいるのです。われわれ一人一人の思いやりの心、支え合う行動が、私たちの学級や学校、社会をすばらしい世界に変えていくのです。
来年の3月11日が訪れたら、この「箸の話」を思い起こすことにしましょう。
(2011年3月24日 某中学校修了式の式辞の一部)
追記
これも学校現場や啓発研修等でよく紹介される逸話である。一人一人の心のありようが、この世界を地獄にも極楽にも変えていくことを、実に分かりやすく示してくれる。
この逸話の出典をかなり調べたが、確認できていない。パターンもいろいろあるようで、地獄と「天国」、大きな丸いテーブル、地獄の人々の哀れな言動の具体的な描写等々、ディテールは様々であった。
よって出典不詳と判断し、勝手ながら次の2点について手を加えさせてもらった。
- 舞台は、地獄と「極楽」に変えた。箸と「天国」がミスマッチと思ったからだ。
- 「一方の手は使えないように縄で縛られ」というのは小生の創作。「箸がつかえなければ、もう一方の手で食べればいいのでは?」という余計な疑念を抱かせないためである。
「3月11日」という期日から、「なるほど」とうなづかれた方も多いと思う。この逸話を紹介したのは2011年3月24日。東日本大震災から13日後である。まだ、日本中が大混乱の渦中にあり、福島第一原発が何とかメルトダウンを回避できそうだ、との報道に安堵した2日後のことである。
実は、この「箸の話」の前段として、東日本大震災の被害の甚大さと、その中で必死に生き抜く日本人のすばらしい姿について拙い話をした。
天災や戦災にみまわれるたびに、たくましく乗り越えてきた日本。人々が助け合い、支え合ってきた日本。その日本に生きる同時代の人々と「箸の話」を重ね合わせて、心に刻んでほしいと考えたのである。
その前段の部分がこれである。
さきほど、大震災でなくなった方々を悼み、全員で黙祷を行いました。
警察庁によると、22日正午現在、今回の大震災で確認された死者数は9,079人。家族らから届け出があった行方不明者は1万2,645人。死者と行方不明者は合わせて2万1,724人になったそうです。また、避難所で不自由な生活を送っている被災者の方々は、31万人を越えるそうです。
運よく命をとりとめた多くの方々も、避難所で寒さに震え、食べるものもろくにない環境で、必死に頑張っています。みなさんもテレビや新聞で、被災者の方々が互いに支えあい、秩序を守って、整然と避難生活を送っている姿を目にしていることでしょう。
私がテレビや新聞で知った話では、一つのおにぎりを4人で分けて食べ、氷点下の寒さの中、1枚の毛布を4~5人で分かち合って寒さをしのいでいました。他の数十万の被災者の方々も似たような状況だったでしょう。
この極めて厳しい状況の中で、盗みや略奪、暴動や混乱などが一切起こっていないことが、世界中で大きな驚きとなっています。他の多くの国では、このような大災害が起こったときは、略奪や暴動が起こるのが常識とされているからです。
人々の支え合いのすばらしさに頭が下がると同時に胸が熱くなります。飢えと寒さ、家族や財産を失った悲しみに打ちのめされても、社会のルールを守り、助け合い、思いやりの心を失わない数十万人の日本人の存在。その尊い姿が全世界の人々に人間の素晴らしさを思い起こさせ、希望を与えているのです。同じ日本人としてこの方々のことを誇りに思いましょう。
テレビニュースで、ある小学生が、「今まで自分がどんなに幸せだったか、初めて分かりました」と話していました。「住む家があって、家族全員がそろって、3食きちんと食事ができることが当たり前。友達と学校で楽しく過ごすことが当たり前と考えていました」と。
われわれは、ここで全員そろって当たり前に修了式を行うことができる幸せをかみ締めたいと思います。同時に、被災者の方々の一日も早い生活再建と被災地の復興を、心から祈ろうではありませんか。
小生にとって東日本大震災の被災者の方々の姿と「箸の話」は、切り離すことのできない記憶である。子や孫に語り伝えておきたい「人、もの、コト」の保管庫、というコンセプトも考慮し、前段の部分も併せて掲載することとした。
先週は、9月4日の台風21号の襲来、そして6日の「北海道胆振東部地震」と大きな災害が重なった週となってしまった。
被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のご遺族、関係者の皆様に対して、衷心よりお悔やみを申し上げます。
◆本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(7) 自分で弁当を作る子どもたち
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