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映画『砂の器』(3) 伝説の名子役とまれにみる名優の共演

投稿日:2018年12月4日 更新日:

◆前回の記事はこちら >映画『砂の器』(2) 「原作を超えた」見事なシナリオ

 前回は、橋本忍と山田洋次両氏の脚本の見事さについてふれてみた。今回と次回は『砂の器』の主な出演者について、個人的な感想を述べてみたい。

 なお、ネタバレの話題満載のため、まだ映画をご覧になっていない方はご注意を! ネタバレを了解された方のみ、どうぞ。

目次

春田和秀、観る者を射るような「目力」に脱帽

砂の器 春田和秀

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 とにかくこの子役(春田和秀・本浦秀夫役)にはまいった。登場する時間帯は全編143分中わずか25分余り、その間に台詞(せりふ)は一言もない。にこりともしない。ビデオを見直して改めて気づいたのだが、この子役の笑った姿は一度も見られないのだ。

 しかし、観る者はスクリーンの秀夫から目がはなせない。食い入るように見入ってしまう。わが子が、わが孫が、もし秀夫と同じ境遇だったとしたら‥‥。そんなあり得ないような想像さえ脳裏をよぎる。観客がいつのまにか秀夫に感情移入してしまうほどの存在感を備えている。

 聞くところによると、『砂の器』撮影中は小学校1~2年生だったとか。まだ7~8歳という年齢なので、秀夫が置かれた不幸な境遇を理解して演じたとは思えない。この存在感は、春田和秀の天賦(てんぶ)の才がもたらしたものであろう。

砂の器 春田和秀

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 静かな怒りを秘めた目、一文字に結ばれた口元‥‥。己の宿命にあらがう目、社会の不条理を射抜くような目、と見るのは小生の考えすぎか。どこかのブログで『「負けない、どんな不条理にも負けないぞ」と無言で訴えているようだ』とあったが、スクリーンを突き抜けて観る者を射るような「目力」である。

 この秀夫と父千代吉との別れの場面は、涙腺崩壊の名場面として知られる。らい病の療養施設に強制送還される父を追って走る秀夫。これが最後の別れと分かっているのか、あふれ出る涙を何度も右腕でぬぐいながら、駅に続く田舎道を、線路を走る、走る、走る‥‥。観る者は「早く、早く‥‥」と祈るような思いで見守るという場面。

 陽炎の立つ線路上をランニング姿の少年がひた走る映像は、小生の心に鮮明に刻まれている。

砂の器 春田和秀

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 春田和秀はこの一作だけで、日本映画史に残る伝説の名子役となった。

 

加藤嘉の絶叫と慟哭‥‥、鬼気迫る演技が胸に突き刺さる

砂の器 加藤嘉

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 「あぁぁぁ~っ! 知らねっ知らねっ、そんな人知らねえぇっ!」

 らい病(ハンセン氏病)の療養施設を訪問した今西刑事(丹波哲郎)に、息子秀夫の写真を見せられた本浦千代吉(加藤嘉)。息子を知らないと頑(かたく)なに言い張る場面である。「慟哭」とはどういうものなのか、この場面の加藤嘉を見れば一目瞭然であろう。鬼気迫る迫真の演技と言ってよい。

 あれほど愛し「死ぬまでに一目だけでいいから会いたい」と願い続けた息子、その息子を守るために「知らねぇっ!」と否定しなければならない現実。これほど悲しくむごい人生があるのかと、こちらの胸も痛くなる。

 ついでながら、この場面も橋本・山田両氏の創作のようである。原作では、本浦千代吉はすでに「昭和三十二年十月に昇天」(小説「砂の器」第13章)している。

 人生の全てを諦めきったような悲しい目、どうにもならない宿命に耐えるしかない諦念の演技は、加藤嘉ならではのものであろう。

砂の器 加藤嘉

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 緒形拳が「自分に本浦千代吉役をやらせてほしい」と野村芳太郎監督に申し出ると、「この役は何年も前から加藤嘉さんで決まっている」と断られたとか。加藤嘉以外に千代吉役は考えられない、というのが衆目の一致するところか。

 「そんな人知らねぇっ!」のシーンと共に語り継がれるのは、やはり息子・秀夫との別れの場面である。

 駅のホームで悄然(しょうぜん)と列車を待つ千代吉。見送ってくれるだろうと期待した秀夫はそばにはいない。しばらくして、遠くから線路をひた走る秀夫に気づく。すると歩くこともままならぬ千代吉が、秀夫に少しでも早く近づこうと上体を泳がせ、足をもつれさせながら駆け寄っていく。このシーンは、何度見ても鳥肌が立つ。

 加藤嘉、まれにみる名優であった。

砂の器 加藤嘉

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 

粥を分け合う父と子、過酷な旅ゆえの親子の絆

 本浦千代吉と秀夫親子が乞食のように放浪する旅は、まる2年に及ぶ。美しく時には厳しい日本の四季をさすらう親子の姿は、風景が美しいだけによけい悲しく切ない。旅立つ時には真っ白だった白装束が汚れにまみれ、ボロボロにすり切れていくさまも、旅の過酷さをうかがわせる。

 そんな暗く重苦しい旅の映像で、心やすらぐ救いのような場面がある。それはこの父と子が、粥を分け合って食べるシーンである。

砂の器 加藤嘉 春田和秀

出典:『砂の器』 ©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

 降りしきる雨の中、粗末なわら小屋で野宿をしようというのか、たき火で粥を炊く親子の乞食。突然父に抱きつき甘えかかる秀夫、それをいとおしくだき包む千代吉。秀夫が初めて見せる子どもらしいしぐさである。粥を作る秀夫の手元を見る千代吉にも、ほほえみが浮かんでいる。これも初めて見せる千代吉の笑顔だ。らい病で指を失った父に代わり、鍋から粥を取り分け、フーフーと吹き冷まして口元に運んでやる秀夫‥‥。

 親子の情愛が実に細やかに描かれている。他に頼る者のない厳しく辛い旅であるがゆえに、この父と子が強い絆で結ばれていることがよく分かる。

 伝説の名子役とまれにみる名優とのぜいたくな共演である。

 

◆『砂の器』の名子役・春田和秀に関連する記事はこちら >
『砂の器』の名子役・春田和秀氏のインタビュー記事を発見!
『昭和の子役』、『砂の器』の名子役が回想する撮影現場の熱気

◆本記事の続きはこちら >映画『砂の器』(4) クールな丹波哲郎の予想外の熱演

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