焦(あせ)らず、休まず、諦(あきら)めず
長崎県に生まれ育ち、百歳を超えてもなお作品創作に意欲を燃やした、北村西望(きたむら・せいぼう)という彫刻家のことを耳にしたことはありますか。長崎市の平和祈念像を制作した人といえば、うなづく人がいるかもしれません。
北村氏が、平和祈念像を制作している時のことです。ある朝足元で見かけたカタツムリが、夕方もう一度像の前に行ってみると、何と九メートルもある像のてっぺんに登っていました。北村氏は小さな生き物の懸命な姿に感動して、少しずつでも進み続けることはすばらしいことだ、次のような句を詠みました。
「たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ」
(とだえることのない歩みのなんと驚くべきことだろうか、カタツムリのほんのわずかな歩みであったとしても‥‥筆者句釈)
わずか数センチのカタツムリのゆっくりとした歩みでも、「焦らず、休まず、諦めず」続けていけば、一日で高さ九メートルにまで達することができるのです。
私たちも、何でもよいから日々の努力を積み上げ、最後までやり遂げた達成感を味わってみたいものです。
(平成25年4月「こもれびだより 2号」掲載記事を加除修正したもの)
追記
継続の大切さを伝えるエピソードの一つである。長崎の平和祈念像がテレビや新聞に取り上げられた時に、「この像を作った人はね‥‥」と語ったこともある。
実際に平和祈念像を目にしたことのある方は、「あの巨大な像のてっぺんにカタツムリが‥‥!」と、驚きと畏れがいや増したことだろう。
北村西望氏は、昭和62年(1987)百二歳でなくなった。「わたしは天才ではないから、人よりも五倍も十倍もかかるのです。いい仕事をするには長生きをしなければならない」が口癖だったとか。
氏が平和祈念像の制作に当たったのが、昭和26年から30年の4年間と聞く。計算すると66歳から70歳(!)の年齢となる。あの巨大な像を制作するには、相当の体力とエネルギーが必要だったろう。
このエピソードは、10代の少年たちよりも、むしろシニアの自戒のために掲載した方がよいかもしれない。そんなふうに思えてきた。
※ カタツムリの句について
- 本句は、「百歳記念のとき、島原市、玉宝寺の聖観音像の台座に」記されたということである(「前坂俊之オフィシャルウェブサイト」百歳学入門(34)ー『百歳長寿名言』★☆『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』(彫刻家・北村西望102歳)ほか3本」による)。
- 小生は、「たゆまざる 歩みおそろし」を「とだえることのない歩みのなんと驚くべきことだろうか」と釈した。「おそろし」は「恐ろし」(=恐怖)ではなく「畏ろし」(=畏怖)で、大いなるものに対する畏れと敬意の入り交じった心情であろう。
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