久しぶりに映画の話題である。実はこの『ブータン 山の教室』は、昨年11月22日に小倉昭和館(北九州市小倉北区)で既に視聴済みの作品(日本公開は2021年4月3日から)。
個人的には、昨年観た映画の中で5本の指に入ると思った秀作。静かな感動に包まれ、倖せな気分に満たされる逸品。
視聴後にすぐ記事を書きたかったのだが、私事に追われ、機会を逸したまま年が暮れてしまったものだ。
年末にレンタルビデオ店で本作のDVDを見つけ、再視聴。一人でも多くの方にこの作品を観てほしくなり、紹介させていただくことにした。
※ なお、本記事はネタバレの話題満載のため、まだ映画をご覧になっていない方はご注意を! ネタバレを了解された方のみ、ご覧ください。
目次
あらすじ
主人公ウゲン・ドルジ(出典:『ブータン 山の教室』公式サイト)
現代のブータン。教師のウゲン(シェラップ・ドルジ)は、歌手になりオーストラリアに行くことを密かに夢見ている。
だがある日、上司から呼び出され、標高4,800メートルの地に位置するルナナの学校に赴任するよう告げられる。一週間以上かけ、険しい山道を登り村に到着したウゲンは、電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを痛感する。
学校には、黒板もなければノートもない。そんな状況でも、村の人々は新しい先生となる彼を温かく迎えてくれた。
ある子どもは、「先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢」と口にする。
すぐにでもルナナを離れ、街の空気に触れたいと考えていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳、そして荘厳な自然とともにたくましく生きる姿を見て、少しずつ自分のなかの“変化”を感じるようになる。
(出典:『ブータン 山の教室』公式サイト)
まずは、予告編(1分53秒)をご覧になれば、どのような作品か、その概要はすぐにつかめることだろう。
◆ 映画「ブータン 山の教室」本予告
役所の長官が「こんなにやる気のない人はめずらしい」と嘆くほど、怠惰で無気力な若年教師ウゲン・ドルジ。教員を辞めオーストラリアでミュージシャンとして成功することを夢見ているが、残り1年間は勤務しないといけない義務がある。
そのウゲンがヒマラヤ山ろくの僻地ルナナ村に赴任し、子どもたちや村人との交流を重ねる中で少しずつ変化・成長していくという、おなじみのストーリーである。
「謙虚に慎ましく」生きる人々
村長アジャ(左)とミチェン(右)(出典:『ブータン 山の教室』公式サイト)
なぜ展開が分かりきった本作をあえて紹介したいと思ったのか。理由はいくつかある。まず、本作に登場するルナナ村の村人の生き方に強く惹かれたから。
ルナナ村は、ブータンに実在する村で(実際にグーグルアースで確認してみた。あなたもご覧になっては?)、富士山より高い標高4800メートルに位置する。ブータンの首都ティンプーからバスでまる一日、その後7日間は険しい山道を歩き続け、最後は野宿しなければたどり着けない秘境である。
標高4800mと言えば、海抜0m地点との温度差はマイナス28.8度、酸素濃度は60%未満という過酷な環境だ。
村の周囲にはヒマラヤの高峰が連なり、総員56人の村人は僅かばかりの畑を耕し、ヤクを飼育して暮らしている。電気も水道もなく、学校には黒板もノートさえもない。
ミチェン(左)と談笑するウゲン(右)(出典:『ブータン 山の教室』公式サイト)
村人の驚くほどの貧しさは画面からもうかがえるが、ウゲンと親しいミチェンの次のような言動からも伝わってくる。
- 紙は貴重品なので、トイレを済ませた後は葉っぱを使用する。
- 靴さえなかなか履けない中、長靴を手に入れた時は嬉しくて抱いて寝た。
- 村長の家でふるまわれた食事(ご飯の上に肉汁をかけた質素な料理一皿のみ)を口にし、「こんなご馳走は新年のお祝い以来です」と喜ぶ。
そのような貧しさの中でも、村人たちの生き方は美しく精神は気高い。神や精霊に祈りを捧げ、自然や仲間に敬意を払い、「ミルクのような純白な心」を持ち続けていれば倖せがついてくる、と楽しそうに歌っている。
『ブータン 山の教室』は実在するルナナ村で撮影され、登場する村人は数名の俳優を除き、実際に村で暮らす人々が演じているそうだ。
あるがままを受け入れ、感謝し、謙虚につつましく助け合って生きる人々。彼らの生き方に心がじんわりと浄化され、気がつくと微笑んでいる自分がいた。
ルナナの村人たち(出典:『ブータン 山の教室』公式サイト)
心に浮かんだ黒板五郎の「遺言」
急に話が飛んで恐縮なのだが、本作を再視聴している間に思い浮かんだのが、テレビドラマ『北の国から 2002 遺言』ラストで語られた、黒板五郎(田中邦衛)のモノローグ(独白)だった。
『おしん』と並ぶ国民的ドラマ(と勝手に思っている)『北の国から』シリーズを知らない若い方も多いと思う。雄大な北海道の自然の中で、主人公黑板五郎と2人の子ども(純、蛍)の成長を21年間にわたり描いた作品である。
1981年から延べ21年間、断続的に放送されたシリーズの最後の作品『2002 遺言』。
そのラストに流れる五郎の「遺言」(モノローグ)は次のようなものだった。
遺言
純、蛍。
俺にはお前らに遺してやるものが何もない。
でも、お前らには、うまくいえんが、遺すべきものはもう遺した氣がする。
金や品物は何も遺せんが、遺すべきものは伝えた氣がする。(略)
金なんか望むな。倖せだけを見ろ。
ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ
出典:『北の国から 2002 遺言』(ドラマからの聞き取りを記載したもの)
「今だけ、金だけ、自分だけ」しか頭にない生き方は、美しくないなぁ。
※ 本記事の続きはこちら >映画『ブータン 山の教室』(2) ~求められ、必要とされる倖せ~
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