2022年11月23日、奈良&京都旅行5日目、娘と合流して2日目となる。この日は娘のリクエストで神社巡りとなった。
京都の紅葉を堪能したいと出かけた今回の旅。もともとこの日は<無鄰菴~南禅寺~永観堂~真如堂~金戒光明寺>と巡る『「哲学の道」紅葉スポット・スペシャルコース』(小生の命名)を歩く予定にしていた。
娘は「お寺はあちこちに値札(ねふだ)が付いているようで、ちょっとねぇ」とにべもない。なるほど神社は拝観料は取らんわなぁ。
宿が京都御苑の近くなので<安倍晴明神社→北野天満宮→京都御所>と巡り、夜は四条河原町あたりで飯でも食べようか、というにわか仕立てのコースに変更となる。
◆前回の記事はこちら >奈良&京都見聞録(19) 高台寺、紅葉ライトアップは見事だったが‥‥
※ 本稿は2022年11月23日の記録を、2023年1月30日にアップしたものです。
安倍晴明神社、フィギュアの聖地と化す
晴明神社は、小説、漫画、映画等で知られた陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明公を祀った神社。映画『陰陽師』で清明を演じた野村萬斎ファンが多く参拝したのはかつての話。最近は「フィギュアの聖地」と呼ばれているらしい。
理由は言うまでもあるまい。平昌オリンピック(2018年)で「SEIMEI」を演じ金メダルを獲得した、羽生結弦ファンが訪れるからだ。
結弦ファンの娘とカミさんは、ホテル出発時からはしゃいでいる。小雨まじりの天候でも、バスを乗りまちがえても機嫌はよい。
鳥居脇の提灯に描かれた五芒星(清明桔梗紋)が目に入ったとたん、「キャー」と黄色い声が出そうなほどだ。以前当社を訪れたことがある小生、楽しむ予定にしていた南禅寺の紅葉が脳裏にちらついて離れない。
晩秋の冷たい雨に打たれながらも、参拝者はとだえることがない。
本殿向かって左には、晴明公の座像。衣の下で印を結び、夜空の星を眺め天体観測しているのだそうだ。天文陰陽博士として、6代にわたる天皇の側近として仕えたというから、相当な学識と霊力をお持ちの方だったのだろう。
本殿右には厄除桃(やくよけもも)。桃に触れると厄除けになると聞き、両手でしっかりなで回す。
ここには他の神社には見られない魔除け・厄除けの類いがあり、実に興味深い。晴明が思いのままに操ったという式神(しきがみ)の石像。少し怖いがじっくり見ていると、何となく愛嬌がある。
本来は厄除けのために参拝する神社だが、さすがフィギュアの聖地。下げられた絵馬の半分くらいは、羽生選手への熱い思いが綴られている。
社務所内には、羽生選手本人や「SEIMEI」 振付師のシェイリン・ボーンさんの絵馬も並ぶ。
野村萬斎氏の絵馬は、平成13年(2001年)とある。20年以上も前の参拝か。
続くコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻、安倍元総理の暗殺など、災厄に翻弄(ほんろう)された2022年だった。世界全体の厄除けを祈願し、晴明神社を後にした。
北野天満宮、雅(みやび)な花手水に目を奪われる
福岡県民にとって、菅原道真公はなじみの深い歴史上の人物。すぐ頭に浮かぶのは、道真公を祀る太宰府天満宮。自分だけでなく子供や孫の入試合格、学業成就をお願いしに参拝した方も多かろう。
また福岡最大の繁華街である天神のど真ん中に、「水鏡(すいきょう)天満宮」という神社がある。道真公の別名は「天神様」。このことから、水鏡天満宮のある一帯は天神と呼ばれるようになった。
手を清めようと手水舎に立ち寄ると、見事な花手水(はなちょうず)が‥‥。その艶やかさにしばし見入ってしまう。雅(みやび)じゃのう。
見事な三光門をくぐり、
桃山建築の粋を集めたとされるご本殿(国宝)にて参拝。
垂木(たるき)飾りには菊のご紋が。一條天皇より御神号をたまわり、国や民を守る神として皇室の崇敬を受けてきたあかし。
北野天満宮は、全国に約1万2千社ある天満宮、天神社の総本社。その格式の高さは群を抜いているが、もともとは道真公の怨霊(おんりょう)鎮めのために建立された神社。
無実の罪で九州・太宰府に左遷され半ば幽閉状態だった道真公、失意のまま2年後に非業の死をとげたことはご存知のとおり。
道真の死後に起こったことがすさまじい。まず道真をおとしいれた藤原時平(左大臣)が、39歳で突如死亡。天皇が居住する清涼殿に雷が落ち、高位の貴族数名が死亡。その3ヶ月後には道真を左遷した醍醐天皇とその皇太子までもが亡くなっている。
これら一連の出来事は、無念の死をとげた道真公の祟(たた)りだとの噂が広がり、公の怒りを鎮めるために北野天満宮が建立されたとか。内裏に雷を落としたことから、道真は「天神様」と呼ばれるようになった。
ご本殿の豪華な建築と調度を見ると、後生の人々がいかに道真公の怨霊を怖れ、怒れる御魂(みたま)を鎮めようと懸命だったかがうかがえる。
旅から帰り北野天満宮のことを調べていたら、境内に紅葉の名所があることを知った。何と境内西側一帯に太閤秀吉が築いた土塁があり、そこが紅葉の隠れた名所となっているそうだ。
「史跡御土居(おどい)もみじ苑」と呼ばれ、350本の紅葉が極上の美を見せてくれると言う。「知っていれば立ち寄ったのに」と思っても後の祭り。
今回の旅のテーマが紅葉なので、もみぢを詠んだ菅公の歌を一首。
このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに※ 歌意:今回の旅は(急のことで)、神様に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。(代わりに)手向けの山の(美しい)紅葉を捧げますので、神よ御心のままにお受け取りください。
※ 「たび」が「度」と「旅」、「たむけ(る)」が手向山と「手向ける(捧げる)」の掛詞
※ この記事の続きはこちら >奈良&京都見聞録(21)
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