※ 前回の記事はこちら >『尾畠春夫 魂の生き方』(1) 始まりは由布岳への恩返しから
65歳からの挑戦の数々
出典:情熱大陸
昨年3月でリタイヤした小生が本書(『尾畠春夫 魂の生き方』)で最も興味を引かれたのが、尾畠さんのセカンドライフ。「やりたいことをやろう」と、65歳の誕生日に魚屋を閉店した尾畠さん。いきなりボランティア活動に専念というわけではなかったようだ。
本書の記述とWikipediaをもとに、そのリタイヤ後の15年間を箇条書きすると、次のようになる。
- 2004年(65歳):10月12日、65歳の誕生日に36年間続けた魚屋を閉店。「65歳からはやりたいことをやろう」と決めていたそうだ。
同月、新潟県中越地震の災害ボランティアに従事。 - 2006年(67歳):日本縦断徒歩ひとり旅に挑戦。4月1日に鹿児島県佐多岬を出発、9月1日に北海道宗谷岬に到着するまでの約3300キロ、92日間を一日も休まず歩く。
簡易テントを担ぎ、1日に30キロ以上を目標に歩いた。橋の下や公園で野宿し、ゴールした時は7キロやせていたという。 - 年不明:九州一周、1990キロの歩き旅。48日間で達成。
- 年不明:本州一周、4200キロの歩き旅。130日間で達成。
- 2010年(71歳):四国霊場八十八ヶ所、約1200キロを歩き遍路で通し打ち。32日間で歩き終える。
- 2011年(72歳):東日本大震災のボランティアとして宮城県南三陸町に行き、がれきの中に埋もれた思い出の写真などを拾い集める「思い出探し隊」の隊長として活動。
大分県と南三陸を何度も車で往復し、延べ500日は活動したという。 - 以後、熊本地震、西日本豪雨災害、広島県呉市の大雨災害等でボランティア活動を行う。
- 2018年(79歳):8月15日、山口県大島郡周防大島町家房で行方不明になっていた2歳の男児を救出するためボランティアとして現地に赴く。3日間発見されなかった男児を、およそ30分の間に発見し救出。
71歳頃までは徒歩ひとり旅で日本国中を旅して回り、72歳の東日本大震災を契機に災害ボランティア活動に重心が移った感がある。失礼な言い方を許していただければ、自分のやりたいことをやる「自己実現」から、社会貢献を通しての「自己実現」へとレベルアップされているようだ。
それにしても、挑戦を続ける意欲と行動力には驚くしかない。月の初めの「1日」に新しいことを始めることが多いという尾畠さん。『毎月「1日」を迎えると、また新しいことに挑戦できるかもしれないと、内心期待しているんです』とのこと。この方には「生きる」ことと「挑戦する」ことは、同義語なのだろう。
※ 尾畠さんの日本縦断f徒歩ひとり旅を紹介した動画(11分01秒)もYouTubeで発見! 前作と同様、ご近所の林孝子さん撮影の作品のようである。
人生を存分に楽しみながら、気負うことなく淡々とボランティアを続ける生き方はお見事というしかない。
登山のキャリアにも脱帽!
本書で予想外(失礼!)だったのは、尾畠さんの登山キャリアの長さと熱中ぶり。「山登りは40歳ごろから始めた」そうなので、キャリアは40年になる。若い時からの岳人ではないし、山岳会等に入会していた気配もない。恐らく独りで山歩きを習得されたのだろう。50歳から山登りを始め、当初は一人で山歩きをしていた小生としては、これだけで親近感が湧いてくる。
小生との違いは、山への打ち込み方だ。「由布岳には月に27~28回登ることもあった」というから、その凄さがうかがえる。
中でも白眉は、1994年(55歳)の北アルプス単独縦走。新潟県の親不知(おやしらず)から長野県の上高地まで、北アルプス55座を9泊10日で単独縦走されたとか。親不知の登山口から栂海(つがみ)新道を経て、後立山連峰から野口五郎岳、双六岳、槍ヶ岳、南岳、涸沢岳、穂高岳、上高地までの行程を歩いたとのこと。
書棚にある北アルプスの地図を広げ、尾畠さんがたどったであろう縦走路を確認してみた。とてつもないコースである。3000m前後の山々を縦走する過酷で厳しい登山道。さらに日本三大キレットを全て踏破しなければならない。
体力、精神力、登山スキル、経験知、これらを兼ね備えた熟練者だけがたどることを許される縦走路である。これを単独で歩くとは‥‥、畏(おそ)れ入るしかない。
1939年10月12日生まれの尾畠さん、6日前に80歳になったばかりだ。80代の夢は、定時制の夜間高校で学び直しをすることだと聞く。現役時代は誰よりも懸命に働き、リタイヤ後は挑戦を続けて自己実現と社会貢献を果たす。
この人の生き方から学ぶことは多い、とつくづく思った。