祇王寺の紅葉を堪能し、嵯峨野の北に位置する大覚寺まで足を伸ばす。夜は娘の提案で、高台寺の紅葉ライトアップ見物としゃれ込むことにした。
◆前回の記事はこちら >奈良&京都見聞録(18) 祇王寺、「萌えいづるも枯るるも同じ野辺の草」
※ 本稿は2022年11月20日の記録を、2023年1月11日にアップしたものです。
祇王寺から大覚寺へ
祇王寺を出て、ランチを食べようと立ち寄ったカフェ。窓際の席から外を眺めていると、雀が! 窓を挟んだすぐ目の前のえさ台で、パンくずらしきものをついばんでいる。
嵯峨野に暮らす人々は、心優しき方が多いのだろうなぁ。
昼食を済ませ、田舎道(失礼!)を20分ほど歩くと大覚寺。他に訪れたい場所もあったのだが、満腹になると眠くなるのが小生の習性。大覚寺方面にすたすたと歩き始めたカミさんらの後を、無意識について行っただけなのだ。
大覚寺は嵯峨野エリアの端っこにある寺院。元々は、嵯峨天皇の離宮である嵯峨院だったが、これが後にお寺に変わり大覚寺となったとか。由緒ある格式の高い古刹らしい。
なるほど、建物も庭も立派である。勅使門には菊のご紋が。
手入れのゆきとどいた庭も美しい。
豪華絢爛なふすま絵に足が止まる。
この大沢の池も敷地内というから、驚く。
境内のあちこちに見たことのない花の鉢が並んでいる。「嵯峨菊(さがぎく)」という札が下がっていた。
ネットで調べてみると、「嵯峨菊は、江戸菊や肥後菊と一緒に日本三大名菊と呼ばれるほどの有名な菊。嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、一つの型に仕立て上げられたもの」とあり、『大覚寺「門外不出」』と書かれていた。
紅葉ばかり見てきただけに、嵯峨菊の姿形と色彩は新鮮であった。
高台寺の「逆さ紅葉」に息をのむ
「嵯峨野あるき」を終えた後は、いったん宿泊しているホテルに戻り一服。菓子をつまみながらまったりしていると、「紅葉のライトアップが見たいなぁ」と娘が言い始めた。コロナ禍もあって、市内の名だたる紅葉スポットは予約制が多いようだが、高台寺は予約不要だとのこと。
こんな機会でもなければ、年寄りが夜の京都に出かけることもあるまい。娘の熱意にほだされ、連れだって東山方面に出かけることにした。
高台寺は通称「ねねの寺」と呼ばれ、豊臣秀吉の正室ねねが秀吉の菩提を弔うために建立した寺。訪れてみると、門前には入場を待つ長蛇の列が‥‥。「最後尾」のプラカードを掲げている女性に訊ねると、約40分待ちとのこと。
「プロジェクション・マッピングもきれいですよ」と言葉を添えてくれたのは、小生の不機嫌な顔への気配りだろう。
プロジェクション何とやらをスマホで検索すると、「建物などの立体物をスクリーンとして映像を投影する技法、およびこれを使った映像表現やパフォーマンスなどのこと」とある。
拝観できる時間となり、押し合いへし合いしながら方丈の軒下でプロジェクション・マッピングを拝見。大音響を響かせながら、庭と建物に映像が次々に映し出されていく。夜間ということもあり、小生のコンパクトデジカメではうまく写せずピンぼけ続出だ。前の男性の後頭部が映り込んでいるのもご愛敬か。
次の画像はネットでお借りしたもの。さすがにきれいだ。
どうやら秀吉とねねの仲睦まじさ(?)をテーマとした映像作品のようだが、いささか演出過剰。きらびやかな映像と大音響で、「何としてでも盛り上げよう」との意図が透けて見える(あくまで田舎者のジジイの個人的感想です。製作者の方、お気になさらぬように)。
映写が終わると、ところてんのように外へ押し出され、ライトアップされた庭へ進んでいく。
突然視界が開け、臥龍池と呼ばれる広い池に映る「逆さ紅葉」を目にした時は、思わず息をのんでしまった。
画像をクリックすると拡大します(画像出典:photoAC)
ライトアップされた紅葉が磨き込まれた鏡のような水面に映り込み、この世のものと思えぬほどの美しさだ。
「すごいねぇ!」「池に吸い込まれそう」などという声が、そこここから聞かれる。
画像出典:photoAC
画像出典:HDRI structures
http://yann3yann3.blog.fc2.com/blog-entry-24.html
竹林のライトアップも幻想的で、なかなか楽しめた。
同じ場所をプロが撮影すると、こうなる。
画像出典:photoAC
紅葉と竹林のライトアップを堪能し、「来てよかったなぁ」と話していると‥‥、出口近くに「恋人の聖地」と書かれた立て札を発見し、のけぞってしまう。どうやら仲のよかった(らしい)秀吉とねねにならい、当寺を「恋人の聖地」としてPRしようとの意図のようだ。
お寺が「恋人の聖地」? 寺院とは「仏像を安置し、仏道修行や仏事を行う場所」のはず。高台寺は厳しい修行が前提の禅寺(臨済宗)だと聞く。仲の良いカップルが訪れる「恋人の聖地」で、僧侶が修行を全うできるのだろうかと、田舎者のジジイの胸に素朴な疑念が浮かんでくる。
「この5文字で全て台なしよね」とは娘の言。「過ぎたるは猶(な)ほ及ばざるがごとし(=度が過ぎたものは、足りないものと同様によくない)」と、後ろの男性もつぶやいていた。
臥龍池の逆さ紅葉があまりに素晴らしかっただけに、複雑な思いで高台寺を後にした。
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