バトンパス 読書

門田隆将『死の淵を見た男』……日本を崩壊から救った男たち (1)

投稿日:2018年7月4日 更新日:

死の淵を見た男

台風7号が九州に接近中のため、昨日は雨と強風で外出もままならぬ一日であった。 そこで予定を変更し、終日読書にいそしむことに。仕事に従事されている方々には誠に申し訳ないのだが、まぁ、これもシニアの特権(?)とお許しいただきたい。

さて、手に取ったのは門田隆将(かどた りゅうしょう)氏の『死の淵(ふち)を見た男』。数年前に一度読み、大きな衝撃を受けたノンフィクションである。再読しようと思ったきっかけは、来週7月9日が吉田昌郎氏(東京電力福島第一原子力発電所元所長、以下「吉田所長」という)の命日にあたることに気づいたからである。

本ブログの「バトンパス」コーナーでは、次世代に語り継ぎたい「人、もの、コト」を取り上げるつもりである。その最初の記事にふさわしい人は、吉田所長と「フクシマ69」(注=吉田所長の下、死を覚悟して福島第一原発に最後まで残った69人の所員たち)と決めていた。なぜか、彼らの命を賭けた壮絶な奮闘が、東日本壊滅を阻止し、日本を救ってくれたからだ。

吉田所長と福島69の過酷な闘いを、忠実に伝えてくれるのが『死の淵を見た男』である。amazonでは、次のように紹介されている。

2011年3月11日、福島第一原発事故。暴走する原子炉。それは現場にいた人たちにとって、まさに「死の淵」だった。それは自らの「死の淵」だけではなく、故郷と日本という国の「死の淵」でもあった。このままでは故郷は壊滅し、日本は「三分割」される。使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いをつづけた男たちは、なにを思って電源が喪失された暗闇の原発内部へと突入しつづけたのか。また、政府の対応は……。「死」を覚悟しなければならない極限の場面に表れる、人間の弱さと強さ。あの時、何が起き、何を思い、どう闘ったのか。原発事故の真相がついに明らかになる。菅直人、班目春樹、吉田昌郎をはじめとした東電関係者、自衛隊、地元の人間など、70名以上の証言をもとに記した、渾身のノンフィクション。
(出典:amazon「死の淵を見た男」内容紹介)

福島第一原発事故

爆発後の3号機原子炉建屋の外観(出典:東京電力ホールディングス)

事故当時、小生は都内に住む息子と娘に「すぐに東京を逃げ出して、九州に帰って来い」と電話したい衝動にかられたことを覚えている。最悪の場合は、東北・関東、そして首都東京が放射能に汚染され、空前絶後の大混乱が起きるであろう。その前に子ども達を安全な場所に避難させておきたい、と考えたからだ。

事故の約10日後に、全原子炉の冷却が開始されたとのニュースを聞き、ほっと胸をなで下ろしたものである。

当時の日本国首相と、原子力行政の安全委員会の長が、事態をどのように認識していたのか。彼らの証言を本書から抜き出してみよう。

◆菅直人・内閣総理大臣(当時)
「近藤さん(注=近藤駿介・内閣府原子力委員会委員長)が試算したのは、(避難対象が)二百五十キロですよ。これは、青森を除いて、東北と関東全部と新潟の一部まで入っています。そうなったら、どうなるのか。二百五十キロというのは、人口五千万人ですからね。」
◆斑目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)
「福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになったでしょう。そうなれば、日本は”三分割”されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」
(出典:いずれも「死の淵を見た男」門田隆将)

では、最前線で陣頭指揮にあたっていた吉田所長は、状況をどうとらえていたか。

吉田昌郎

福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長<中央>

(出典:[2011年11月12日、読売新聞/アフロ])

◆吉田所長
「格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射線レベルが近づけないものになってしまうんです。ほかの原子炉の冷却も、当然、継続できなくなります。つまり、人間がもうアプローチできなくなる。福島第二原発にも近づけなくなりますから、全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉がやられますから、単純に考えても、”チェルノブイリ×10”という数字が出ます。私は、その事態を考えながら、あの中で対応していました。」
(出典:前出)

日本国のリーダーと、政府の原子力行政のお目付役と、事故現場の責任者、この3人の現状認識を重ね合わせ、想像力を働かせると、次のような背筋が凍るような地獄絵が浮かび上がってくる。

  • 2011年3月15日早朝、福島第一原発2号機の格納容器の圧力が上昇。本容器が爆発すると、原子炉から高レベル放射能が飛散し、半径数十kmから100kmに渡り生物は生存困難となる。
  • その結果、福島第一、第二の全原発10基及び使用済み燃料プール11基において、人の手で放射性物質をコントロールできなくなる。
  • この場合の放射能汚染の被害は、チェルノブイル原発事故の10倍を遙かに超えるものとなろう。
  • さらに茨城県の東海原発、東海第二原発もコントロール不可となる可能性がある。
  • 最悪の場合、避難対象地域は半径250km。これは、青森県を除く東北と関東全部と新潟の一部まで入る広さで、避難対象者は5千万人を越えるだろう。
  • 5千万人もの人間が一度に避難を始めると、空前絶後の大混乱が起こり、国民の生命、安全、財産は保障できなくなる。
  • 特に大地震と津波被害に苦しむ東北地方は、救援活動どころではなくなる。高齢者や病人、幼い子ども等の弱者はなすすべもなく、悲惨な結果を迎える可能性が高い。
  • 高レベル放射能の汚染により、避難対象地域は最低数十年にわたり無人地帯となり、日本国は、北海道+青森県と西日本に分かれた「分断国家」となる。

これが、最も現場を把握した人物(吉田所長)、最も原子力の専門的知見をもった人物(斑目委員長)、そして最も大局から状況を俯瞰できる立場の人物(管首相)の、ほぼ共通したイメージではなかったか、と推測する。

福島第一原発から半径300kmまでの地域

福島第一原発から半径300kmまでの地域

(2)に続く

 

 

 

 

 

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