第26回参議院議員選挙投票日まで残り6日。18歳で選挙権を得たあなたは、初めての国政選挙を前に「誰に(どの政党に)投票しようか」と頭を悩ませていることでしょう。
実は私、69歳の今日まで一度も選挙を棄権したことはありません。約50年間、選挙のたびにあなたと同じことを考えた経験から感じたこと、今日はそれをお話ししたいと思います。
ご参考までに。
目次
3人に2人は投票に行かない20歳代
次のグラフは、総務省の統計をもとに作成された「衆議院議員総選挙における10代・20代・全体の投票率の推移」です。1967年には70%半ばだった投票率(全体)が近年は50%台に低下していることが分かります。
特に若者の投票率の低下は著しく、2014年の衆議院選挙では20歳代の投票率はついに32.6%という結果に。つまり、20歳代の3人に2人は投票に行かなかったということです。
棄権した若者に理由を聞くと、「投票したい候補者・政党がない」「投票しても何も変わらないから、行ってもムダ」といった回答が多いのだとか。
もし18歳になった孫たちが、こんな理由で選挙を棄権するかもしれない(何しろ20代の3分の2が棄権する時代だから)と思うと、とても寂しく辛い。
今回は18歳になった孫(未来の)に話すつもりで、記事を書きました。
「少しでもマシな人間を選ぶ」のが選挙
「投票したい候補者・政党がない」という若者の意見には、見方を変えると「魅力的な、心が強く動かされる候補者・政党があってほしい」という期待があるのかもしれません。
ただ少し考えてみてほしいのです。たとえば、あなたの友人が「やりたい仕事がないから働かないんだ」と言ったらどうでしょう。
「年収800万円以上、週休3日の人間関係の良い職場で、やりがいのあるプロジェクトを任せてくれる会社なら行ってもいいなぁ」と期待を語ったらいかがですか。
私の50年近い投票経験から言うと、「本当にこの人に入れたい」とか「この政党の政策がすばらしいから1票を投じる」ということはごくまれでした。政治的信念や実績があり、国益や地域社会の利益を真剣に考えて行動する人物・政党は、そんなに多くはありません。
大抵は「A候補とB候補を比べたら、こちらの方がマシだな」と、限られた候補者の中からよりマシな方を選択することが多かったのです。
ひどい時には「2日前の弁当を食うか、腐った弁当を食うか(笑)」という選択をした選挙もありました。腐った弁当なら腹をこわして命にかかわるが、2日前の弁当なら何とか食えないこともない。現実の社会で生きるには、そういう選択もあるのです。
つまり、「選挙とは、与えられた選択肢の中から最もマシな人間(政党)を選ぶ作業である」というのが私の素直な実感です。マシな人間を選ぶのも立派な選択なのです。
「政治とは悪さ加減の選択だ」とは、福沢諭吉の言葉。最低の中から最良を選ぶ手順を繰り返して、今日より明日が少しでも良くなるように試みる。その作業が選挙だと、どこかで読んだ覚えがあります。
選挙への雑感あれこれ
選挙に対する雑多な感想もあれこれと浮かんできます。思いつくままに幾つか挙げてみると‥‥、
最悪の人物が当選するリスクを避ける
独裁者として570万人ものユダヤ人を虐殺し、全世界を第二次世界大戦に引きずり込んだアドルフ・ヒトラー。1932年、彼が率いるナチス党が合法的な選挙で政権を奪取。与党第一党の党首であったヒトラーが首相に指名され、その後の悲劇を引き起こしました。
ヒトラーは暴力的な手段で政権を奪ったのではなく、民主的な選挙でワイマール共和国(現在のドイツ)の首相に選ばれたことは、記憶にとどめておくべきです。
一番悪くてひどい候補者が当選するリスクを避けるためだけでも、投票に行く価値はあると考えています。「誰が当選しても同じ」ではありません。
投票できる有り難さを考えてみる
選挙とは、国民が国民の代表者(国会議員、地方議員)を選ぶ行為です。その根本には「主権者は国民であり、政治は国民の意思に基づき行われなければならない」という精神があります。国民に主権があるからこそ、我々は選挙で代表者を選ぶのです。
中国、北朝鮮、ロシア、これらの国にはまともな選挙制度は存在しない、というのが通説です(形だけの選挙はあるようですが)。
いずれも独裁者が長く政権の座を占め、国民には思想・信条及び言論の自由が認められていません。為政者(いせいしゃ)を批判すると、逮捕されたり、いつの間にか行方不明になったりすると聞いています。これらの国の主権は国民にあると言う人はまずいないでしょう。
この数年、この3国に関わるニュースを聞くにつけ、自分たちのリーダーを選べる日本の有り難さを身にしみて感じています。
政治に無関心でいられても、政治に無関係ではいられないのです。
棄権するのなら、文句を言うな!
30代前半の頃、余りに仕事が忙しくて一度だけ棄権しようかと考えたことがあります。軽いのりで「今度の選挙、棄権しようかと思ってるんです」と先輩に話すと、「棄権したら、政治や社会に文句を言う資格はなくなるよ。自ら権利を捨て去った人間が何を言っても、誰も相手にしてくれないよ」と諭(さと)されたことがあります。
「棄権するのなら、文句を言うな!」 目からうろこが落ちましたね。
「私にできること」をやるだけ
「投票しても何も変わらないから、行ってもムダ」という方に、ある言い伝えを紹介しておきましょう。南米エクアドルの先住民族に古くから伝わるものだそうです。
2005年に『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』( 監修:辻 信一、光文社)という本で紹介され、話題となりました。こんな内容です。
森が燃えていました。森の生きものたちはわれ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけはいったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います。クリキンディはこう答えました
「私は私にできることをしているだけ」
体長7cmほどのハチドリが運ぶ一滴の水。たかが一滴、されど一滴です。
自分の住む世界(地域、国)が焼け果ててしまおうとする時に、「われ先に逃げる」か「私にできること」をやろうとするか。どちらを選ぶかはあなた次第です。
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