フェルメール、『牛乳を注ぐ女』1658-60年頃 アムステルダム国立美術館 Rijksmuseum. Purchased with the support of the Vereniging Rembrandt, 1908
◆前回の記事はこちら >東京見聞録(3) 神宮外苑のいちょう並木を見物に
※ 本稿は2018年12月11日の記録を、12月21日にアップしたものです。
上野でフェルメール展を鑑賞
12月11日(火)、今日のお目当ては上野の森美術館で開催されているフェルメール展。混雑を避けるため「日時指定入場制」をとっていると聞き、予めネットで13:00~14:30の時間帯で入場券を購入しておいた。上京中のお楽しみの一つである。
会場に着いたのが13:30頃、美術館の壁には巨大な広告が貼られている。
「フ」の文字の前に立つお嬢さん、スマホに夢中でなかなか脇に移動していただけない。数人がカメラを準備して背後で待機しているのに、気づいていないのだろう。
小生もどこかで似たようなことをやっている可能性大である。自戒せねば。
フェルメールの絵は素晴らしかった。「光の魔術師」と呼ばれるだけあって、日常のさりげない一瞬を切り取った光景が生き生きと描かれており、はるばる九州から見に来た甲斐があった。
しかし展覧会の運営のやり方には、いくつも不満が残る。小生のわずか1回の体験のみで、あれこれと論評するのはおこがましいことは重々承知している。以下はあくまでも小生の主観的な感想であることをお断りしておく。
とにかく設定時間内に受け入れる入場者数が多すぎる。2500円という高額チケットを販売し「日時指定入場制」いう方式を採用するのなら、作品を「鑑賞」できるだけの環境整備(入場者制限や誘導の工夫等)をしておくのが、主催者の務めではなかろうか。
ごった返す館内で長い行列を作り、二重三重に立ち並ぶ人の頭の間から作品を眺めなければならない。これが芸術作品の「鑑賞」と言えるだろうか。これでは入場時の「待ち時間」を「緩和」できても、館内で混雑による「待ち時間」が生じていると思う。
ほかにも指摘したいことはいくつかあるが、もうやめておこう。読者の方を不愉快な思いにさせるのが小生の本意ではない。
この上野の森美術館を小生が訪れることは、多分二度とないだろう。
「考える人」に挨拶し、東京国立博物館へ
複雑な思いで美術館を出た後は、カミさんと分かれての自由行動となる。カミさんは仕事を終えた娘と落ち合い、某エンターテイナーのコンサートを楽しむ予定だとか。
小生はと言えば、NHK放送博物館(港区愛宕)で8Kスーパーハイビジョン放送上映会を体験するつもりであった。200インチの大画面と22.2マルチチャンネルの音響で、大迫力の映像を楽しめるというのがうたい文句らしい。
ネットで上映プログラムを検索してみると、あいにく(?)視聴できそうなのがコブクロのコンサートということで、断念。実はコブクロというグループをあまり知らないのだ。8K体験は次回上京の楽しみにとっておこう。
せっかく上野に来たのだから、まだ訪れたことのない東京国立博物館を訪ねてみようと歩き始める。途中で国立西洋美術館の前を通り過ぎるので、「考える人」とヘラクレスに挨拶をしておくことにする。
国立西洋美術館の前庭には、ロダンの作品を中心に何体もの彫刻作品が展示されており、無料で鑑賞できるようになっている。
まずは、「考える人」(拡大像)に挨拶。
折からの寒波の中、全裸ではさすがに寒そうである。同じ全裸でも、すぐ近くのヘラクレス氏は寒風をものともせず元気一杯、エネルギーに充ち満ちている。若いなぁ。少し元気を分けてもらいたいほどだ。
他のロダンの作品を見終えた後、東京国立博物館に入場。館内撮影禁止のため、紹介できる写真はない。別館の「法隆寺宝物館」まで駆け足で観覧し、外に出た。
博物館を出ると、そぼふる雨に打たれた落葉が街灯に照らされ、うら寂しいムードが漂っている。
このままアメ横まで足を伸ばし、屋台で一杯やろうかと考えたが、この寒さと雨ではその気も失せると言うものだ。
結局、駅近くの「餃子の王将」で餃子定食と生ビールという平凡な結末。東京最後の夜にしては、うらわびしい気がしないでもない。
21時30分頃、コンサートの余韻さめやらぬ娘とカミさんが帰宅したが、小生は既に床の中であった。
明日は11時過ぎの新幹線で九州に向かうのみ。おかげさまで、楽しい旅であった。
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