※ 前回の記事はこちら >四国遠征山行レポート(1) 10連休にどこに出かけるか?
※ 本稿は2019年5月1日の山行記録を、5月9 日にアップしたものです。
目次
5月1日、北九州から見ノ越(剣山登山口)へ移動する
国道九四フェリーで四国に渡る。
どのようなルートを選択するかで差はあるが、北九州市から剣山(徳島県)登山口の見ノ越までは約450km~500kmの距離を走ることになる。時間にして約7時間~8時間、九州から剣山はあまりに遠い。海を隔てているため、心理的な距離感はさらに増す。10連休で四国の山を巡る機会でもなければ、とても訪れようとは思わなかったろう。
前回の「四国遠征山行レポート(1) 10連休にどこに出かけるか?」でも記したが、今回は高速道路の渋滞を避けるため、フェリーを利用することにした。佐賀関港(大分県)と三崎港(愛媛県)を結ぶ国道九四フェリーである。
北九州から佐賀関港まで約150kmを走り、8時発のフェリーに乗船する。船内は椅子席だけでなく、写真のように横になってくつろぐスペースも用意されている。四国まで1時間10分、横になって仮眠をとることもできるし、天気が良ければデッキから海を眺めてもよい。気分転換と休息には最適だった。
三崎港から松山自動車道伊予ICまでの一般道も交通量が少なく、海を眺めながらの快適なドライブを楽しむことができた。徳島自動車道美馬ICを降り、スーパーで食料を購入し、15時30分過ぎに見ノ越登山口に到着。若干の渋滞には遭遇したが、おおむね順調な往路だった。
見ノ越登山口から西島野営場へ
見ノ越登山口(標高1,420m)には「剣山自然情報センター」、屋根付きの駐車場(無料)やリフト乗り場が整備され、あたりには民宿や食事ができる土産物屋も数軒ある。
ここから標高差約300mの西島野営場まで、足慣らしも兼ねゆっくり登ることにする。久しぶりのテント泊装備がずっしり肩に食い込む。登山口を過ぎてすぐの劔神社で参拝し、そのまま境内を抜け、整備された登山道を進んでいく。
リフト下をくぐる人工のトンネル(?)を抜け、本格的な登山道を進む。昼過ぎまで雨ということもあり、リフトに乗る人は見かけなかった。
この付近の標高は1,500mを超えるため、登山道の周囲のブナ、ミズナラはいまだ冬木立の様相だ。新芽がいっせいに萌える春の訪れは、まだまだ先のようだ。
西島野営場でテント泊
約50分で西島野営場(標高1,700m)に着。既に奈良県の高校生のパーティや、数名の登山者がテントを設置済みであった。
小生らも重いザックを下ろし、さっそくテントの設営にかかる。気温は6~7度というところか。動いていないと少し寒いくらいだ。
これは小生のテント「エアライズ2」、ネットオークションで購入して13年という年代物である。補修と不良パーツの交換を重ねながら、使い続けている。
西島野営場からは、剣山頂とヒュッテを仰ぎ見ることができる。丸みを帯びた山頂部は、「剣山」という名称から受けるイメージとはほど遠い。
就寝準備まで整えたところで、ビールで乾杯。この日の夕食メニューは、途中のスーパーで買ったチキンカツと「おでん+うどん」というもの。冷え切った体に、熱々のおでんがまことに美味であった。
剣山の名称の由来
北アルプスの剱岳はその名のとおり、登山者を圧倒する峻険な山容で知られている。深田久弥が「全く剣岳は太刀の鋭さと靱(つよ)さを持っている。その鋼鉄のような岩ぶすまは、激しい、険しいせり上りをもって、雪をよせつけない。」(『日本百名山』)と述べたとおりの、剣のような姿である。
ところが、四国の剣山頂にはなだらかな草地が広がり、少しも剣らしいところがないと聞く。以前からどうして「剣」の文字が使われているのか不思議であった。今回、調べてみると由来には次の2説あるようだ。
一つは、「安徳天皇の御剣を山頂に埋め、これを御神体としたから、剣山と呼ばれるようになった」(『日本百名山』)という説。
今ひとつは、頂上直下の大劔(おおつるぎ)神社のご神体である「御塔石」が剣のような形をしているから、という説。
明日は大劔神社に立ち寄り、剣のような「御塔石」を目にすることにしよう。
※ 本記事の続きはこちら >四国遠征山行レポート(3) 剣山、「昼寝を誘われるような」広々とした山頂
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