※ 前回の記事はこちら >四国遠征山行レポート(3) 剣山、「昼寝を誘われるような」広々とした山頂
※ 本稿は2019年5月3日の山行記録を、5月27 日にアップしたものです。
目次
コースと活動概要
◆コース及び活動概要
※ 山行軌跡図はYAMAPによるもの。
07:00 東平~08:40-08:43 銅山越~10:09-10:30 西赤石山(1,626m)~10:40(縦走路折返し地点)~10:55 西赤石山~ 11:07-11:30 兜岩~ 13:15 東平
参加メンバー:3名(B氏、N氏、がしん)
活動時間(含む休憩時間) | 6時間19分 |
活動距離 | 10.5km |
高低差 | 903m |
累積標高 上り/下り | 1,360m/1,344m |
消費カロリー | 3.288kcal |
東平(とうなる)から銅山越を経て西赤石山へ
東平登山口を7時に出発。登山者用の臨時駐車場から約10分の場所にある第三通洞。最盛期には、篭電車が通っていたとか。高く積まれた石垣と厳重に閉ざされた門が、往時の隆盛を感じさせる。
しばらくは、石が敷かれた広い登山道をゆっくりと登っていく。この道もかつては、別子銅山の坑夫たちが行き来した道だったのだろう。
周囲の雑木林をよく見ると、銅山施設や住宅の跡地のようだ。
かつては、登山道の両側は木々が伐採され、斜面にびっしりと銅山施設が建ち並んでいたことが分かる。「この辺り一面、谷底から山上に至るまで焼鉱炉で硫黄を取り除いていた」とか。排出された亜硫酸ガスで山は荒廃の極みだったようだ。
よくここまで自然が回復したものだ、と感慨にふけることしきり。途中の分岐で馬の背コースを選び、新緑が芽生え始めた雑木林の道を約30分登れば、銅山越に到着。
石垣に囲まれた内には祠があり、お地蔵さんが祀られていた。江戸時代から明治初期までの約180年間、山内に住む数千人の食料が人夫に背負われてこの峠を越えていたそうだ。地蔵仏は、行き倒れになった無縁仏を供養するために設置されたとか。
ここから左に曲がれば90分で西赤石山。一息ついて、行動食休憩をとる。
銅山越の峠を少し上がった地からの展望。左のピークが東赤石山、真ん中が西赤石山、右が東山だろうと見当をつける。西赤石山の山ろくはアケボノツツジのピンクに彩られているようだ。
銅山越から西赤石山への登路では、アケボノツツジやミツバツツジが次々と現れ、目を楽しませてくれる。何て美しいんだろう。
汗を流して登った者だけが観賞できる大輪のアケボノツツジ。美しいピンクの花に、しばし見ほれてしまう。
何度も立ち止まっては、「いいねぇ~」とつぶやきカメラを向ける。
色鮮やかなミツバツツジも、今を盛りと咲き誇る。
ぷっくりと膨らんだつぼみも、なかなか味があって好ましい。
こんな気持ちのよい登山道は大好きである。新芽が萌え出す頃に歩いてみたい。
10時9分、登山口から約3時間で西赤石山(1626m)山頂着。ここで20分ほど周囲の展望を楽しむことにする。周囲には登山者がそこここで休憩中。
兜岩でアケボノツツジの「ピンクの滝」を堪能
山頂での休憩を終え、兜岩(かぶといわ)へと向かうはずだったが、小生の判断ミスで道を間違えてしまった。
山行軌跡図をご覧になると、西赤石山から東へしばらく進み、引き返した軌跡が確認できる。10分ほど下った時点で道迷いに気づき、山頂へと登り返したのだ。「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と、チコちゃんに叱られそうだ。
山頂付近で兜岩への下山ルートを見つけ、急斜面の登山道を慎重に下っていく。
二段ハシゴをクリアしてしばらくすると、一気に視界が開ける。
「あれが兜岩ですかねぇ‥‥」との声で見上げると、迫力のある岩場に登山者がとりついている所。何となく赤みを帯びた岩を見ると、西赤石山の名前の由来がうなづける。
どこから取り付いてよいものやら分からず、適当な岩からよじ登り、気に入ったビューポイントで腰を下ろす。
西赤石山西側斜面を遠望すると、満開のアケボノツツジの大群落が見える。凄い! これほどのアケボノツツジの群生を見たのは初めてだ。
まるでピンクの滝が幾筋も斜面を覆い尽くしている感がある。くじゅう連山の平治岳のミヤマキリシマは「ピンクの絨毯(じゅうたん)」にたとえられるが、こちらは「ピンクの滝」と言う表現がぴったりだ。
惜しむらくは、肝心の花の滝までの距離が遠いこと。もっと近くに寄って見たいのだが、間の深い谷が邪魔をして近づけない。みなさん、仕方なく自分のビューポイントから満開の花を観賞中。
残念だったのは、時間の余裕がなくて兜岩の上部までは行けなかったこと。岩上からの展望はさぞかし素晴らしかったことであろう。
花の滝を眺めながら昼食をとり、その後整備された登山道を下る。下山中もこんな展望を楽しむことができる。有り難い、有り難い。
次に来訪する機会があれば、今回の逆コースをぜひ歩いてみたい。すなわち、東平からまず兜岩をめざし、岩上でたっぷりとアケボノツツジを堪能した後に、西赤石山~銅山越~東平をたどる周回コースだ。
石鎚山系のシラサ避難小屋へ移動
登山者用の臨時駐車場着が13時15分。広い駐車場はほぼ満杯の状態。この時間帯なら通行車両も少ないので、河又までの狭い山道をスムーズに通行できそうだ。
車の離合にてこずりそうな山道を約20分ほど下り、道の駅マイントピア別子に到着。GWとあって観光客でごった返しており、駐車場の空きがなかなか見つからない。時間があれば、別子銅山の歴史を学べる資料館や歴史遺産に立ち寄りたいと思ったが、これも次の機会としよう。
4階の「別子温泉~天空の湯~」の露店風呂や炭酸泉でゆったり汗を流し、今夜の宿石鎚山系のシラサ避難小屋へ向かう。
この後、小生の判断ミスでシラサ避難小屋への道を間違え、車で山中を2時間以上さまよう(?)と言う痛恨の過ちを犯してしまう。単純に石鎚山の「土小屋登山口」を目ざし、そこから瓶ヶ森林道を約5km道なりに進めばよかったのだ。
運転をお願いしたB氏には、本当に申し訳ないことをしたと深く反省。全く道迷いだらけの一日だった。
18時に避難小屋着の予定が、20時に到着。小屋内は真っ暗で、既に5人の先客が就寝中であった。忍び足で小屋に入り、そのまま爆睡。お騒がせしました。
※ 本記事の続きはこちら >四国遠征山行レポート(5) 霊峰石鎚山、西日本最高地点に立つ
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