ご同輩のシニアの方々、長い人生を振り返って「もっと早くこの事を知っていたら(この人に出会っていたら)、自分の人生は変わっていたかも‥‥」と感じたご経験はありませんか? 小生は何度もそんな悔しい思いをしてきました。
人は多感な10代の時期に「本物」と出合うことで、大きく成長すると言われます。心がゆさぶられるような感動、目から鱗が落ちるような斬新な発想、本気で何かに取り組む人の姿、心が温まるエピソード‥‥。思春期にこれらと数多く出合い、人生を豊かにすることができた若者は、何と幸せなことでしょう。
小生の幼い孫たちが中・高校生に成長した時に、知っておいてほしい「人、もの、コト」を書きとめておこうと思います。
お恥ずかしい限りですが、まずは小生がこれまで中・高校生に語った(紹介した)エピソードから始めることにいたしましょう。
第1回目は「妻の戴帽(たいぼう)式」、50歳から夢に向かって頑張り抜いた女性の実話です。何度読み返しても胸が熱くなります。
なお、本シリーズのタイトル「あとからくる君たちへ」は、敬愛する鍵山秀三郎氏の著書「あとからくる君たちへ伝えたいこと」(致知出版者)からお借りしました。
目次
「私、看護師になるわ」と、50歳になる妻が宣言した。
妻の「戴帽(たいぼう)式」
式場の照明が消され、舞台が暗くなった。厳粛な雰囲気が醸(かも)し出され、咳(せき)をする者もいない。静寂が会場を包んでいる。
やがて舞台中央に一本の大きなロウソクが灯(とも)された。明かりは、そのロウソク一本だけである。舞台に黒い人影が登場したかと思うと、大きなロウソクに近づき、自分の持っている小さなロウソクに点火する。小さなロウソクの光が次第に増えていき、舞台全体がようやくほのかに薄明るくなった。
192本のロウソクの集団から、中央の小さなロウソクが舞台の前方に進むのが見える。その次の瞬間、そのロウソクにスポットライトが当たった。人影が舞台中央に浮かんでいるように見える。それが、私の妻であった。
妻と息子の受験勉強
「私、看護師になるわ」
と、50歳になる妻が、突然、そう宣言した。長い間、看病していた両親を昨年、相次いで見送ったこともあり、高校生の息子が大学進学を目指していることもあって、経済的には苦しくなるから、パート勤務ぐらいは仕方がないと思っていたが、いきなり看護師とは驚いた。看護師になるには年齢的な問題もあるだろうし、第一に25年あまりも専業主婦しかしたことがない妻が、過酷な勤務だと言われる看護師をやっていける体力があるわけがない。それは両親が入院していた病院の看護師さんを見ていて、充分に分かっているはずだ。
「絶対に無理だし、世間に迷惑をかけるから」と、やめるように言って、それっきり忘れていた。しかし、妻はあきらめてはいなかった。私が会社に行って留守の間や寝てしまった夜間に、高校生の息子の教科書や参考書を借り出し、勉強していたのである。分からないところがあると、現役の受験生である息子を家庭教師にして、教えを乞(こ)うていた。息子も母親に協力し、私には知られないように孝行息子を演じていたようである。
私が知ったのは、受験票が送られてきてからであった。ここまで勉強が進んでいて妻が真剣なら、私も認めざるを得なくなり、我が家には二人の受験生がいると思うようにした。買い物、料理、洗濯など家事を手伝い、いつの間にか、看護師受験の援助をするようになっていた。
合格発表の日は、会社での仕事も手につかず、ソワソワしながら一日中電話を待っていたが、連絡はまったくなかった。
「さぞガッカリしているだろう。何と言って慰めたら……」と思いながら帰宅すると、「合格した」と言う。
「合格したのなら、なぜ連絡ぐらいしないのか」
と、うれしい夫婦喧嘩(げんか)をしたものである。息子も志望校に合格し、その年は緊張したがうれしい一年であった。初めて知る妻の姿
あれから三年、今日は戴帽式である。「誓いの詞(ことば)」を読む特権を与えられた妻は、もう何日も前から、家族を前にして練習していた。凛(りん)とした声には張りがあり、落ちついている。練習の時より、はるかに出来がよい。参列者の中から、
「あの人、私より年上かもしれないわ」
というささやきが聞こえてくる。自分と同年代の中年女性が、自分の娘と同じ戴帽式に出ていることに、一様に驚いている。しかし、この戴帽式で「誓いの詞」を読み上げている妻は、一番年齢が上だから選ばれたわけではないことを、私は知っている。毎日、午前二時、三時まで勉強し、試験の時は徹夜もしていた。記憶力の衰えは経験でカバーし、それは見ていても心配になるくらい努力していた。授業中、居眠りをする者もいる中、決して眠ることなくノートを取り、予習・復習していた。だからテストは、ほとんど満点で、全国模試での順位も上位だった。
「学校創立以来の成績だ」と、先生方も驚いていたという。看護実習では、「患者さんから婦長さんと間違えられた」と大笑いしたこともあったそうである。体育の時間はさすがに息切れして大変だったと告白され、同情したものである。本当によく頑張ったと思う。
「………戴帽生192名代表、浅野陽子」
と、しめくくる。その声は、誇りと自信に満ちている。25年以上も連れ添っていて、初めて知る妻の顔である。所作も立派に役割を終える。あのまま、私が断固反対していたら、妻の才能も夢も殺してしまっていたのではないかと、申し訳ない気特ちになる。家に帰ってきたら、あらためて褒(ほ)めてやろう。
「今日は、立派だったよ」と。(出典:PHP「生きる~第27回PHP賞受賞作」平成16年2月号、筆者は浅野憲治(あさのけんじ)氏、会社員)
◆本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ (2) 三人のレンガ積み職人
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