前回は日本理化学工業という会社が、2人の少女の職場体験をきっかけに、知的障がい者たちの雇用を始めたことを紹介しました。
施設で保護され楽に暮らすよりも、働く喜びを求める2人の少女。その懸命に働く姿に心を打たれた大山泰弘社長(当時)が、知的障がい者の正式採用を開始したエピソードです。
※ 前回の記事はこちら >あとからくる君たちへ(23) 幸せを求めた2人の少女
目次
周利槃特(しゅりはんどく)の無言の説法
今回は、大山さんが抱いた二つ目の疑問の話です。「障がい者と一緒に働けば、めんどうをみなければならず、作業能率も落ちてしまう。周りの社員はどうして受け入れることができたのだろうか?」、こんな疑問でしたね。
大山さんは著書『働く幸せ』(WAVE出版)で、その疑問の答としてお釈迦様の弟子のエピソードを紹介しています。少し長くなりますが、引用してみます。
周利槃特(しゅりはんどく)という高僧をご存じでしょうか?
お釈迦様が、修行最高段階の地位といわれる羅漢(らかん)十六人のお弟子の1人に選んだ人物です。周利槃特は何をきいても忘れる人で、自分の名前すら忘れるほどだったそうです。今であれば、知的障害者と呼ばれていたのではないでしょうか。
周利槃特にはすこぶる頭のいい、摩訶槃特(まかはんどく)というお兄さんがいました。
あるとき、そのお兄さんは、
「お前がいては(周りの人に)迷惑がかかるばかりだから、ここを去れ」
と言って周利槃特を祇園精舎から追い出しました。追い出され、門の外で泣いていた周利槃特に釈迦は、
「お前にはお前の道がある。明日からこの言葉をとなえながら掃除をしなさい」
と語りかけ、「塵(ちり)を払わん、垢(あか)を除かん」という言葉と箒(ほうき)を与えたのだそうです。そして一心に掃除をしている彼を見ると、周囲の人がみな思わず手を合わせたくなるほど、その姿が尊く気高いものであることから、釈迦は無言で説法ができる者として、周利槃特を十六羅漢に加えたのだと言います。
私は、工場で働く障害者の姿に、同じことを感じてきました。彼らの内にある周利槃特の無言の説法に導かれて、私は今日まで生きてきたのです。
(出典:大山泰宏・著『働く幸せ』)
無言の説法が人を、職場を、会社を変えた。
2人の一心に働く姿にふれた工場の人たちは、心が浄化されるような気持ちになると共に、色々なことを考え始めたのだろうと思います。ここから先は、私の勝手な想像です。
たとえば、
「自分はこの子たちのように、心を込めて仕事に取り組んでいるだろうか?」
「自分にとって、働くとはどんな意味をもっているのだろう?」
あるいは、
「この2人のために、何かしてやれることはないだろうか?」
「この2人と共に働ける職場をつくるには、どうしたらよいか?」、このような疑問や考えが湧き起こってきたと想像できるのです。
次の写真は文字も時計も読めず、計算ができない知的障がい者が、安心して仕事に取り組むるようにと、同社で考案されたツールです。
時計の針が読めない人には、砂時計。砂がなくなれば、材料を練る時間は終わりです。
秤(はかり)の数字が読めない人には、色付きの重り。赤い容器に入った材料を量る時は、赤色の重りを使います。
ノギス(精密測定器)を使えない人には、チョークの直径を検査する器具。中央部分にチョークが引っかかれば、JIS規格に合格です。
このほかにも、多くの障害者用の道具が考案されています。興味がある人は、ぜひ日本理化学工業株式会社の公式サイトをのぞいてみてください。
大山さんは、著書『働く幸せ』で、知的障がいを持つ社員の存在が周囲の健常者の心を清め、働く意味を考えさせ、共に働き続けるための「助け合いの風土」が育っていった、と述べています。
2人の少女から始まった「無言の説法」が人を、職場を、会社を変えていったのです。
大山泰宏さんは、2019年2月7日、86歳で逝去されました。つつしんでご冥福をお祈りしたいと思います。「世界のモデルとなるような、知的障がい者の工場をつくる」という志は、後を継がれた大山隆久さんに見事に引き継がれていると知り、胸をなでおろしています。
追記
2回にわたり、日本理化学工業の話題にふれてきた。何度もテレビやマスコミに取り上げられ、人口に膾炙した感のあるエピソードだったので、「今さら記事を書くのも‥‥」とためらう気持ちが大であった。
しかし、大山氏の『働く幸せ』を拝読し、「この人と日本理化学工業社を、一人でも多くの若者に紹介したい」という念やみがたく、記事を書くことにした。閲覧数が1日100に満たないごくささやかなブログではあるが、好きなことを好きなように発言できる自由をやっと手に入れたのである。活用しない手はあるまい。
次の写真は、『働く幸せ』に掲載された一枚の写真(書籍掲載写真は白黒)。読了後にネット上でカラー写真を見つけた。
右は故大山泰弘会長。左の女性は林緋沙子さん、60年前に同社に採用された2人の女性の一人である。林さんは同社で60歳定年まで勤め上げ、さらに5年間再雇用で勤務されたとのこと。「まさか、ここまで頑張ってくれるとは‥‥。」という大山氏の感慨が印象的だった。
大山泰弘氏、すばらしい経営者であり、教育者でもあり、リーダーだと思う。同社の末永い発展を衷心より祈念したい。
◆本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(25) 清掃のプロをめざして~心で磨く、心を磨く~
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