※ 本シリーズ前回の記事はこちら >あとからくる君たちへ(33) 学校で良い「型」を身につける
心を強く揺さぶられた2枚の写真
今日は3月6日。今年もまた東日本大震災が起こった日(2011年3月11日)が巡ってこようとしています。あの日から9年が過ぎました。
3月の声を聞くと心に浮かんでくる写真があります。今日はその写真を紹介することにしましょう。
一面に降りしきる雪の中、がれきの中で読経を続けている若い禅僧。降りかかる雪を拭いもせず、合掌し一心に祈りを捧げる真剣さが伝わってきます。
撮影されたのは2011年4月、場所は岩手県山田町。僧侶の名は小原宗鑑(おばら そうかん)さん、当時28歳とのことです。未曾有(みぞう)の大地震と大津波で廃墟と化した街で撮影されたものです。
もう一枚の写真は倒壊した家屋の前で頭を垂れ、犠牲者の鎮魂のため読経をする姿。粉雪が舞うほどの寒さにもかかわらず、素足に草履。何でも数日前から野営をしながら被災地を回り、犠牲者のご冥福を祈る旅を続けているとか。
数年前にたまたまこの2枚の写真を拝見した私は、心に衝撃が走り、しばらく言葉が出ませんでした。
次に「何と気高く美しい姿だろう。ありがたいことだ」という思いが胸に広がり、こみ上げるものを抑えきれなくなりました。
心を強く揺さぶられた私は、この若い禅僧のことを知りたくなりました。あれこれと調べるうちに、小原さんに密着取材をされた山本宗補さんの記事をネットで発見。
その一部を引用させていただきましょう。
※ 山本宗補さんの記事はこちら >「鎮魂の読経~生きた仏教」(山本宗補の雑記帳)
大震災3度目の取材で撮影した若い禅僧の写真を紹介したい。小原さんは、4月2日に宮古市から読経行脚を開始した。4月6日の朝日新聞の一面に、雪の降る釜石内で読経する小原さんの写真が大きく掲載されたため、全国の読者が感動したに違いない。私もその写真を見て心を動かされ、小原さんの取材をしたくなり、取材に行ってきたわけだ。ともかく、取材させてもらい、小原さんという若い僧侶の存在と活動、彼の生き方に直に触れることができた収穫は計り知れない。「生きた仏教」を目の当たりにした気持ちだ。これほど一心不乱に読経を続け、歩きつづけ、合掌し続けることができるのかと心で感動しながら、彼に密着させてもらった。いまでも小原さんの写真をセレクトし、色調整をしているだけで、突然ジ~ンときて目頭が熱くなってしまうほどだ。被災地は小原さんが毎月のように、鉢を持ち網代傘で托鉢に歩いた馴染みの街だという。小原さんはひたすら歩き、鈴を鳴らし、立ち止まり深々と頭を下げる。歩きながら読むお経は「舎利礼文」。火葬場などで遺族が骨を拾う際に唱えられるお経だという。「師匠から、私は何もできないことを学びなさいといわれた。瓦礫を前にして、何か知らないけど、ただ謝るしかない」。小原さんはそうした思いで読経行脚を続けながら、被災地を南下しているのだが、初日はあまりに圧倒されて、無言で頭を下げて回っただけだったという。(出典:「鎮魂の読経~生きた仏教」、ブログ『山元宗輔の雑記帳』。読みやすくするため、本文は引用者が改行した。)
「何もできないことを学びなさい」との師の言葉を受け、慰霊の旅に出た小原さん。あまりに悲惨な現実に圧倒され、無力な自分を思い知らされたことでしょう。
人は、生きていれば、耐え難い理不尽に遭うことが必ずあります。肉親の死、不治の病、事故、災害、戦禍‥‥、この世界には、我々の力ではどうにもならない不条理な出来事があふれています。その中で人間は生きていかねばなりません。
自分が何もできないことを知った時、人は自ずと謙虚になり、生かされていることの有り難さに気づくのだと思います。
数日後に迫った3月11日、14時46分になったら東北の方角に向かい、ささやかな祈りを捧げようと思います。
新型コロナウイルスによる休校で自宅待機をしている皆さん、あなたも自宅で犠牲者のご冥福と東北の復興を祈ってもらえれば、嬉しいです。
追記
本ブログでは、これまで幾つか東日本大震災に関する記事を掲載してきた。これからも折にふれ、書き続けていこうと思っている。
※ 東日本大震災に関係する記事
あの悪夢のような大震災から9年、現在の子ども達には、あの鮮烈な記憶はあまり残っていないようだ。9年前と言えば、現在の中学3年生(15歳)は当時6歳、小学4年生以下はまだ生まれてもいない頃だ。これから年を重ねるにつれ、大震災の記憶はさらに希薄化していくことだろう。
あの大地震と大津波、その後の福島第一原発の爆発事故の恐ろしさと、その極限状態の中で発揮された日本人の強さ、優しさ、素晴らしさは忘れることができない。この事実を孫たちの世代に語り伝えていきたいと切に思う。
現役を離れ、年をとり、何もお役に立てない老人となったが、自分の体験と知見を次世代へ語り伝えることは、ささやかでも続けていくつもりだ。それがあの大震災の犠牲者への供養であり、必死に生き抜いた方々のDNAを接ぎ木することになると思うからだ。
同世代のシニアの皆さん、あなたの子や孫に大切な「何か」を語り継いでいこうではありませんか。
本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(35) 今、自分にできることから始めてみる
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