薬師寺の蓮(保山耕一氏撮影)、出典:保山耕一 Koichi Hozan 2020年7月7日
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余命2ヶ月、突然の末期ガンの告知
保山耕一(ほざん・こういち)さんがガンであることを告げられたのは2013年、51歳の時だった。仕事中にトイレで倒れ、救急車で搬送された病院でのことだ。
「直腸ガンでステージ3Cです」。末期ガンであることを告げられた保山さん、後どれくらい生きられるか尋ねると、「このまま放っておいたら余命2ヶ月」との言葉。
その日から、保山さんの苦しく辛い闘病生活が始まった。
当時の保山さんは、「THE・世界遺産」や「情熱大陸」といった人気テレビ番組を多数手がける売れっ子カメラマン。わが国のトップカメラマンとして、第一線を走っていた頃だ。
そんな保山さんだが、カメラマンとしての出発は決して恵まれたものではなかった。テレビ局のカメラマンは東大、京大卒のエリート達が目白押し。高卒でフリーの保山さんが彼らと争っていくには、圧倒的な実力を身につけるしかない。周囲はみなライバルだった。
徹底的に技術を磨き、カメラマンとして日本一を目指そうと決意したのが20歳の頃。以来30年、寝食を忘れてカメラに打ち込み、戦い続けてやっと獲得した地位だった。
保山紘一さん(出典:朝日新聞)
全てを失った後に残ったもの
仕事を辞め、まず放射線の治療を受けた。2ヶ月間、地獄のような治療だったという。運良く放射線が効き、手術ができるまでガンが小さくなった。直腸と大腸の一部を摘出できたが、「3年生きる確率は30%」と言われた。
手術後は、抗がん剤治療による闘病生活が始まった。入院を機に周りから潮が引くように人が去っていく。気がつくと周囲には誰もいない。
「病気で倒れたら、一人も友達がいない。それだけ最低なやつだったんです」
カメラのない生活も保山さんを苦しめた。撮影ができない日々は、生きる実感すら感じない世界だった。自分が生きているのか死んでいるのか分からない毎日だった。
孤独とむなしさに襲われ、一時は死ぬことも考えたという。
絶望の中、最後に願ったのは「死ぬ前にもう一度、一番撮りたい場所を撮影してから死にたい」ということだった。
世界中の自然遺産を見てきた保山さんが、最後に撮りたいと願ったのが奈良の自然だった。それほど奈良の自然は美しかった。
手元にビデオカメラがなかったので、スマホをガムテープで三脚に固定し撮影した。これが映像詩「奈良、時の雫」シリーズのスタートだった。
それから6年、Youtubeで配信された作品は725本(2020年7月19日現在)を数え、今も配信中である。自然の営みの一瞬一瞬を慈しむような映像は、ため息が出るほどの美しさだ。
日本が、とりわけ奈良の自然がこれほど美しかったのか、と再認識させられる。日本に生まれたことに感謝と誇りが湧いてくるような映像である。
幸せの実感
今では多くのファンが生まれ、Youtube のチャンネル登録者は1万人を越す。保山さんの許には、感動や感謝のメッセージが数多く寄せられている。
「(作品を見た人たちから)ありがとうと言われることが今一番嬉しい」
「誰かのお役に立てていると感じられるようになったことが一番嬉しい」
今、保山さんは心底こう思うそうだ。
自分が心からやりたいことをやり、それが誰かから感謝される。自己実現と社会貢献、人間にとってこの二つを満たすことが最高の幸せであるとよく分かる。
2015年にガンは肺に転移した。「再発すれば、5年生存率は5%」とも告げられている。
ガンの後遺症で頭痛やめまいに襲われ、さらに直腸を摘出したため、排便をコントールすることができない。
残された一分一秒がいとおしくてならない。
「一日一生、今日やりたいこと、やれることを全部やって今日を終わりたい」
今日も保山さんはカメラを抱え、午前5時前に自宅を出る。始発電車で奈良に向かうのだ。
※ 「薬師寺の蓮」(2020年7月8日、映像詩『奈良、時の雫』より)
追記
本記事を書くにあたり、次の資料等を参考にさせていただいた。
保山耕一さんの映像詩「奈良、時の雫」は、Youtubeで視聴することができる。いずれも3分から5分程度の作品だが、どの作品も奈良の美しさが見事に映し出されている。
仕事で疲れた時や、心がささくれ立った時にぜひご覧を。
お時間がある方は、小生の一番好きな「佐保川の桜」(6分25秒)にお付き合いください。
本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(39) 「どうして勉強しないといけないの?」
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