3つの災害が同時に起こった東日本大震災
東日本大震災(2011年3月11日)が起こってから、まもなく10年を迎えようとしています。当時まだ幼かった皆さんは、おぼろげな記憶しか残っていないことでしょう。
東日本大震災は、マグニチュード 9.0という我が国観測史上最大の地震とその後の高さ10mを超える大津波、さらに福島第1原子力発電所事故による放射能汚染という3つの災害が一度に起こった、途方もない規模の巨大災害でした。
震災による死者・行方不明者は1万8428人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4893戸、震災発生直後の避難者は約47万人にも及びました(いずれも2019年12月10日時点)。現在でも5万人を超える避難者がふるさとに帰れずにいます。
日本が想像を絶する巨大災害にみまわれ、多くの国民が寒さに耐えて救いを求めているというニュースが報道されると、ただちに温かいメッセージや義援金、支援物資が世界中から届けられました。さらに、日本のために祈りを捧げてくれる人々が全世界にあふれていきました。
日本人はこれらの温かい支援にどれだけ慰められ、励まされ、助けられたことでしょう。私たちは、このご恩も含め、次の世代に震災の記憶を語り伝えていかねばと考えています。
世界一の義援金を送ってくれた台湾
東日本大震災の翌年(2012年3月末)までに日本を支援をしてくれた国・地域は174ヶ国・地域、寄せられた義援金は約1,640億円と言われています(「東日本大震災への海外からの支援実績のレビュー調査」・一般財団法人国際開発センターによる)。
中でも台湾からの援助はずば抜けていました。台湾はどこよりも早く救援隊を派遣し、その義援金総額は200億円以上(最終的には253億円とされる。台湾外交部2014年発表)、また400トンを超える大量の支援物資を届けてくれました。
私は、このニュースを聞き非常に驚いたことを覚えています。
なぜか。失礼ながら台湾の面積は九州とほぼ同じ、当時の人口は約2300万人(日本のおよそ5分の1)、平均年収は約160万円だったからです。
それほど小さな「国」(わが国は台湾を国として承認していないので「」をつけています)が、これほど莫大な義援金を送ってくれたことが驚きでした。
当時の台湾の平均年収は日本の3分の1から2分の1。台湾人の生活感覚からすると、義援金200億円はその2倍から3倍の価値を持つ金額だと考えられます。
1人で10億円の寄付をしてくれた張栄発さん、店の3日分の売り上げ全てを寄付した菓子店主、おやつを我慢して募金をしてくれた中学生、チャリティコンサートの出演料全額を提供した芸能人‥‥。日本を救おうという募金活動が台湾全土にみるみるうちに広がっていったそうです。
さらに驚かされたのは、次のような報道を目にした時です。2011年暮れに台湾の「華視新聞」と「YAHOO奇摩」(台湾のYahooサイト)が共同で行った調査によれば、「今年最も幸福な出来事と思ったこと」の第1位が、「日本への義援金額が世界で最も多かったこと」だったというニュースでした。
なぜ台湾の人たちは、これほどまでに日本に心を寄せ、応援してくれるのでしょう。次回は、そのことについて紹介することにしましょう。
本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(45) 台湾で起こった「奇跡」と「日本精神」
◆本シリーズの他の記事はこちら >シリーズ「あとからくる君たちへ」関連記事へのリンク
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