水素爆発を起こした福島第一原発3号原子炉建屋(出典:東京電力ホールディングス)
今年もまた3月11日がやってきます。「千年に一度」とも言われた東日本大震災から数えて11回目の「3.11」です。
今回は、福島第一原子力発電所(以下、「福島第一原発」と言う)の事故から、家族とふるさとを守り抜いた方々のことを紹介します。
具体的には吉田昌郎(よしだ・まさお)福島第一原発所長と、海外メディアに “フクシマ・フィフティーズ”(正確には69人) と呼ばれた東京電力職員の方々です。
福島フィフティのことは、映画『フクシマ50』や書籍『吉田昌郎と福島フィフティ』(門田隆将著)で、既に知っている人も多いと思います。
映画や本と重なる部分も多いのですが、この方々の命をかけた戦いを、次世代を生きる皆さんに一人でも多く知ってもらいたいと考え、筆を執ることにしました。
なお、本稿は2018年に本ブログで公開した次の記事を、中高生向けに書き直したものです。
・門田隆将『死の淵を見た男』……日本を崩壊から救った男たち (1)
・門田隆将『死の淵を見た男』……日本を崩壊から救った男たち (2)
史上まれに見る巨大トリプル災害
今われわれが「東日本大震災」と一言で表現している災害。実は、次の2つの天災と原子炉事故がほぼ同時期に発生した、史上まれに見る巨大トリプル災害でした。
- 日本の観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震
- 地震により発生した大津波(最大高さ15m超)
- 福島第一原発の原子炉事故(6基の原子炉のうち、水素爆発3基、放射性物質漏れ1基)
巨大地震と大津波により、福島県民の多くは肉親や友人、住居を失いました。さらに暴走する原子炉から身を守るために故郷を離れざるを得ませんでした。この方々がどれだけ打ちのめされ、困難な状況に置かれたことか、あまりに悲惨すぎて言葉を失ってしまうほどです。
福島第一原発は、福島県双葉町と大熊町にまたがる海外線に建設され、46万kwの発電量で東京都の電力需要を支えていました。
2011年3月11日午後2時46分、福島第一原発は大きな揺れに襲われ、運転中だった1~3号機の原子炉は自動で緊急停止。その50分後には、高さ15メートルに及ぶ津波が押し寄せてきました。
敷地内はもちろん建物内部にも海水が入り込み、非常用の発電機やバッテリーなどが使えなくなる「全電源喪失」の状態になりました。
次の映像はYouTube にアップされた福島第一原発の津波被害の動画(2分04秒)です。当時の状況がよく分かります。
◆ 【原発】想定外の高さ15m 津波が原発襲う瞬間(11/04/10)
原子炉を冷やすための電源が全て失われたことにより、原子炉の温度は上がりつづけ、燃料が収められた容器の水が蒸発し、燃料棒がむき出しになっていきます。
出典:「福島のこと、どれだけ知っていますか? 廃炉と復興、その先へ」( Yahoo!ニュース)
やがて、燃料棒の金属と水蒸気が反応して水素が発生、これが建屋内部に充満し次々に爆発が起きました。
まず3月12日に1号機が爆発。続いて14日に3号機、15日に4号機も水素爆発。
被災した福島第一原発=2011年3月撮影(出典:東京電力ホールディングス)
2号機は燃料棒がむき出しになり、水素も発生したものの、爆発にはいたらず。しかし、大量の放射性物質が外部に漏れ出すという最悪の事態となったのです。
私は放射線のことはほとんど分からない素人ですが、大量に放射線を浴びるとどうなるか、次のような話を聞いたことがあります。
放射線は細胞内の遺伝子を傷つける。少量であればすぐに傷が修復され人体に影響は出ないが、大量に放射線を浴びると傷の修復が追いつかず、細胞が分裂(再生)できなくなる。
軽度の場合は細胞ががん化するか、白血病が発症。重度被爆の場合は全身の細胞が再生できず、体が腐り死にいたる。
爆発でめちゃくちゃになった原子炉建屋内では、発熱を続ける燃料棒が残ったまま。一刻も早く原子炉を冷却しないと、格納容器が爆発し大量の放射性物質が大気中に放出されます。
発電所周辺は生物が生存できない汚染地域となるのです。
東日本壊滅の危機
最悪の場合、どれくらいの範囲が放射性物質で汚染されると予想されたのでしょうか。
当時、最前線で陣頭指揮にあたっていた所長の吉田昌郎(よしだ・まさお)さんは、次のように語っています。
「格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射線レベルが近づけないものになってしまうんです。ほかの原子炉の冷却も、当然、継続できなくなります。つまり、人間がもうアプローチできなくなる。福島第二原発にも近づけなくなりますから、全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉がやられますから、単純に考えても、”チェルノブイリ×10”という数字が出ます。私は、その事態を考えながら、あの中で対応していました。」
(出典:『死の淵を見た男 吉田昌夫と福島第一原発の五〇〇日』(門田隆将、PHP研究所)
第一原発に6基、15km離れた第二原発に4基、合わせて10基の原子炉が悪魔の連鎖でコントロール不能となり、膨大な量の放射性物質が放出される、と考えていたようです。
当時の原子力安全委員会の長と日本国首相も、同じ結果を予想していました。
◆斑目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)
「福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになったでしょう。そうなれば、日本は”三分割”されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」◆菅直人・内閣総理大臣(当時)
「近藤さん(注=近藤駿介・内閣府原子力委員会委員長)が試算したのは、(避難対象が)二百五十キロですよ。これは、青森を除いて、東北と関東全部と新潟の一部まで入っています。そうなったら、どうなるのか。二百五十キロというのは、人口五千万人ですからね。」(出典:いずれも「死の淵を見た男」門田隆将)
最悪の場合は、東日本壊滅という恐ろしい危機が進展しつつあったのです。具体的には、次のようなことが起こっただろうと、私は想像しています。
- 高レベル放射能の汚染により、青森県南部から東京都にいたる東日本一帯が避難対象地域となる。
- 東日本に住む約5千万人の人々が一斉に避難を始め、空前絶後の大混乱が起きる。
- 大地震と津波被害に打ちのめされた東北地方では、救援活動もできなくなり、高齢者や病人、幼い子ども等の弱者は悲惨な結果を迎える可能性が高い。
- 東日本は最低数十年にわたり無人地帯となり、日本国は北海道+青森県と西日本に別れた「分断国家」となる。
当時の私にはここまで想像するだけの情報はありませんでした。しかし原子炉冷却に失敗すれば、放射能被害は東京都まで及ぶだろう、とぼんやり予測はしていたのです。
都内に住む息子と娘に「すぐに東京を逃げ出して、九州に帰って来い!」、と電話したい衝動に何度もかられたことを覚えています。
それから原子炉冷却用の外部電源が復旧するまで、生きた心地がしない日々が10日近く続きました。
本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(56) 福島フィフティ、家族とふるさとを守り抜いた人たち_2
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