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私を奮い立たせてくれた2枚の写真
長い人生、心が折れそうになったり、とても立ち直れそうもない苦難に出合うことが何度かあります。たとえば家族や友人との死別、大きな災害や事故。命にかかわるような病にかかったり、どんなに頑張っても希望の光が見えないとき……。
長く生きてきた私(来年70歳を迎えます)にも、そんな経験がありました。何をやってもダメ。「頑張らなければ」と思うばかりで、なかなか立ち直れません。もがけばもがくほどはい上がれない。まるで蟻(あり)地獄のような状態です。
そんな時、ふがいない私をむち打ち、奮い立たせてくれた2枚の写真があります。今回はそれを紹介したくなりました。
きっかけは、テレビやネットで目にしたウクライナの報道。家族や友人、住む家を奪われ、戦火におびえる子どもたちを目にしたからです。
画像出典:日本ユニセフ協会 © UNICEF/UN0632750/Gilbertson VII Photo
いつ、どこで、どんな不幸や苦難に遭遇するか分からないのが人生。離れて暮らす3人の孫達も、いつか大きな困難に出合うかもしれません。役に立つかどうかは分かりませんが、その時に備え、古い2枚の写真のエピソードを書いておこうと思ったのです。
もしかしたら、あなたが苦しさや悲しみに押しつぶされそうになった時、この写真が立ち上がる勇気を与えてくれるかもしれません。
水を運ぶ少年
画像出典:共同通信社?(クリックすると画像が大きくなります)
1枚目の写真は「水を運ぶ少年」と呼ばれています(正式の名前ではありません)。新聞やテレビで何度か報道されたので、知っている人も多いことでしょう。
撮影されたのは2011年3月14日、場所は宮城県気仙沼(けせんぬま)市。東日本大震災の3日後に撮影された写真です。少年の背後のがれきは、「千年に一度」と言われた巨大地震(マグニチュード9.0)と大津波(最大高さ15m超)で破壊された家や建物です。
年齢は10歳かそれより少し上でしょうか。袖が余るほどのだぶだぶのジャンパーにピンクの長靴。恐らく借り物か避難所でもらったものでしょう。
両腕にしっかり握りしめているのは、焼酎のペットボトル(4~5リットル用?)で水が入っています。小さな体にはかなりの負担と思われますが、しっかりとした足取りで歩いています。伏し目がちなのは、足元に散乱するがれきに注意しているのでしょうか。
初めてこの写真を見た時は、身が引き締まるような思いでした。少年の固く結んだ口元とペットボトルをかかえる両腕に、「負けてたまるか」という覚悟がみなぎっています。
胸が熱くなりました。大災害の報道におろおろと動揺し、ふぬけのようになっていた私。そんな自分にぴしりと鞭(むち)を当てられた思いでした。
こんな幼い少年が必死に生きようとしているのに、俺は何をやっているんだ。頑張らなければ、自分に出来ることをやらなければ。そんな思いがじわじわと湧いてきたのです。
この写真を母国イタリアに紹介した記者は、次のようなコメントを添えたそうです。
「面(つら)がまえがいい。日本は必ず再興する」
少年のことを調べてみる
津波により気仙沼市内まで打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」(出典:産経新聞社)
少年の写真にいたく感動した私は、もっと彼のことが知りたくなりました。やがて新聞やネット情報などから、次のようなことが分かりました。
少年の名は松本魁翔(かいと)君。被災当時は小学4年生で10歳。母や姉、曾祖父母や祖父母ら家族15人で住む自宅は津波で流され、親戚の家に一時避難をしていた。
震災直後の市内は断水が続き、食料もなかなか手に入りません。断水した1ヶ月半は、特大のペットボトルを使い水くみを続けました。がれきの中、片道約1キロ(約15分)の井戸へ毎日3往復。ときには6往復したこともあったとか。
落ちていた釘を踏んでしまい、足をけがした時も黙ってこらえていました。
「痛かったけれど、家族には言わなかった。心配をかけたくなかったから」と。
2021年1月、10歳だった少年は成人式を迎えました。そのことを伝える記事を読み、彼の旅立ちに祝杯を挙げたことを覚えています。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に展示されている写真を背にする魁翔さん
(出典:河北新報社)
◆ この記事は次の情報を参考にして、書きました。
- 「水を運ぶ少年」20歳に(上)全国の励ましに支えられ | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
- 「水を運ぶ少年」20歳に(下)気仙沼や家族に恩返しを | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
- 高倉健さんから手紙届いた“水を運ぶ少年”の旅立ち – 社会 : 日刊スポーツ
- 1枚の写真 高倉健のダイレクトメッセージ|日経電子版
- 「水を運ぶ少年」成長の軌跡 全国から寄せられた手紙と「少年」の夢 – YouTube
追記 故高倉健さんと少年
2014年11月に亡くなった俳優の高倉健さん。出演する作品に一途に打ち込む真摯(しんし)な姿勢で知られています。大好きな俳優でした。
その健さんが、この写真の少年に心を打たれたことを後に知りました。写真を見たときの驚きは、次のように記されています。
気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年は、避難所で支給されたものでしょうか?
袖丈の余るジャンパーにピンク色の長靴をはいています。両手には一本ずつ、焼酎の大型プラスチックボトルを握っています。彼は、給水所で水をもらった帰りなのです。その水を待っているのは幼い妹でしょうか?
年老いた祖父母なのでしょうか?
私の目をくぎ付けにしたのは、うつむき加減の少年のキリリと結ばれた口元でした。左足を一歩踏み出した少年は、全身で私に訴えかけてきます。
「負けない。絶対に負けない…」
私は、その少年の写真をB5版のサイズにしてもらいました。映画の台本の大きさです。「あなたへ」の台本の裏表紙にその写真を貼りつけた時、胸の奥からほとばしった熱情。クランクインは、数日後に迫っていました。
(「1枚の写真 高倉健のダイレクトメッセージ」日経電子版2012年3月16日)
健さんが少年に直筆の手紙を送ったことを知ったのは、3年前のことでした。
「拝啓 初めてお手紙を書かせていただきます。映画俳優の高倉健と申します」と書かれた手紙には、魁翔君の写真を台本に貼り、宝物にしていると書かれていたとか。
「ぎゅっと気合いが入る」とも語っていたそうです。
同じ北九州市出身の健さんが魁翔君に手紙を送ったことを知り、書き加えておきたくなりました。
◆本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(61) 焼き場に立つ少年~私を奮い立たせてくれた2枚の写真
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