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トルコ・シリア大地震でよみがえる記憶
写真は2月13日、トルコのカフラマンマラシュで撮影(2023年 ロイター/Suhaib Salem)
昨日は2023年3月6日。トルコ・シリア国境周辺でマグニチュード(M)7.8の大地震が起きてから、ちょうど1カ月。死者はトルコで少なくとも4万5千人、シリアで約6千人に達し、計5万1千人にもおよぶと報道されています。
ペシャンコに潰(つぶ)れた建物や打ちのめされた被災者の映像を見ていると、12年前の東日本大震災の記憶がよみがえってきます。
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0という巨大地震が発生、東北地方を襲いました。その直後、高さ10mを越える大津波が押し寄せ、多くの町や村を次々とのみ込んでいきます。さらに津波により電源を失い、原子炉を冷やすことができなくなった福島第一原発が暴走して放射能汚染が発生。わが国史上最大のトリプル災害となったのです。
南三陸町を容赦なく飲み込んでいく津波
(出典:「南三陸町での大津波の写真を公開します」/宮城県南三陸町 山内鮮魚店 店長コラム)
この巨大地震および大津波による死者・行方不明者は、合わせて約2万人。「日本はどうなるんだろう。もう終わりかも‥‥」と、不安に押しつぶされそうな日々が何日も続きました。
自衛隊の災害救援活動を知りたい
当時は自衛隊や警察・消防、海上保安庁、米国海軍や海兵隊、全国から駆けつけたボランティア達が、総力を挙げて救援活動に取り組んでくれました。中でも自衛隊の迅速で大規模な救援活動は世界で絶賛され、多くの国民から感謝の声が上がりました。
トルコ・シリア大地震がきっかけで当時の自衛隊の救援活動のことを知りたくなり、次の2冊の本を読んでみました。
- 『自衛隊さん ありがとう ~知られざる災害派遣活動の真実~』(井上和彦、双葉社)
- 『日本に自衛隊がいてよかった 自衛隊の東日本大震災』(桜林美佐、産経NF文庫、潮書房光人新社)
読み終えた今、自衛隊への感謝の気持ちが改めてわき上がり、本書で知った「知られざる」救援活動を、皆さんに紹介したくなりました。
わが身顧みず、救った命と支えた暮らし
海水に浸かりながら行方不明者を捜索する隊員たち(画像出典:不明)
当時の自衛隊の救援活動でまず驚いたことは、その初動の速さでした。地震が発生した4分後の午後2時50分には、防衛省災害対策本部を設置。被害状況を確認するため、直ちに最寄り基地からヘリコプター、飛行機等が飛び立っています。
当日午後6時には全国の自衛隊に災害派遣命令が出され、陸海空自衛隊約8000人、航空機300機、艦艇約40隻を被災地に急派。午後6時25分には、保育所で最初の救援活動が行われています。
私が東日本大震災のニュースを知ったのは、3月11日の午後3時30分頃。押し寄せる津波で流される自動車をテレビで見ながら、「これは映画の1シーンじゃないのか」と、とんちんかんな一言をつぶやいていました。現実が受け入れられなかったのです。「いったい日本はどうなるんだろう」と呆然としている間にも、全国の自衛隊基地では出動準備が着々と進められていたのです。
この日から派遣終結命令が出される8月31日までの174日間、派遣隊員10万人は文字通り「粉骨砕身(ふんこつさいしん、=骨を粉にし、わが身を砕くほど力を尽くすこと)」の救助・支援活動に従事。多くの命を救い、被災者のライフラインを支えました。その活動実績は、次のように公表されています。
- 人命救助 19,286 名(全体の約7割)
- 遺体収容 9,505 体(全体の約6割)
- 衛生等支援 23,370 名
-
物資輸送 13,906 トン
- 給水支援 32,985 トン(最大約200か所)
- 給食支援 5,005,484 食(最大約100か所)
- 入浴支援 1,092,526 名
※ 引用者註:「衛生等支援」とは医療救護活動のことと思われる。
私が注目したのは、「人命救助 19,286名」という数字です。たとえば人間ひとりの命を救うのに、どれだけの人手と時間がかかるのか、少しだけ想像してみてください。
私は以前、北アルプスで滑落した登山者の救助活動を見たことがあります。ヘリコプターから負傷者を拾い上げる山岳警備隊、待機する救急隊員、遠く離れた病院で患者を待つ医師たち。多くの人の支えがあって、やっと人一人が救えるのです。
約2万人の救われた人命、この陰でどれだけ多くの隊員や関係者が力を尽くしたことか。想像するだけで頭が下がります。
マスコミでは「東日本大震災の死者・行方不明者は、合わせて約2万人」とよく言われます。しかし、それと同じ数の人々を自衛隊が救出していることは、ほとんど報道されません。もしも自衛隊が迅速に派遣されていなかったら、犠牲者の数はさらに増えていた可能性が大きいのです。
また「遺体収容9,505体」と記されています。自衛隊の任務は遺体を回収するまで。しかし、自治体や民間の葬儀会社がほぼ壊滅状態であったため、安置所に搬送した泥だらけのご遺体をきれいに洗い清め、検視後に土葬の手伝いまで行ったそうです。
おや、もう紙幅が尽きてきました。次回は、災害現場で救援に当たった隊員たちのエピソードを紹介しようと思います。
◆本シリーズの次の記事はこちら >あとからくる君たちへ(66) 誰があなたを守るのか_2
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