前回は、私が読んだ2冊の本(『自衛隊さん ありがとう』、『日本に自衛隊がいてよかった』)をもとに、自衛隊の東日本大震災救援活動の概要を紹介しました。地震発生後の迅速な出動のおかげで、2万人もの命が救われたんですね。
今回は前回と同様に、この2冊で紹介された被災現場のエピソードにふれてみようと思います。
※ 本シリーズの前回記事はこちら >あとからくる君たちへ(65) 誰があなたを守るのか_1
目次
自身も被災者の隊員が500人以上
東日本大震災の救援活動で特徴的だったのは、急ぎ駆けつけた自衛隊員の中にも被災者が多くいたという点でした。災害派遣された隊員は地元出身者が多く、家族が被災した隊員は約500人、両親や妻子をなくした隊員が200人以上もいたそうです。
「一刻も早く助けに行きたい、安否を確認したい、そばにいてやりたい」。家族へのつのる思いをこらえながら、人命救助、不明者の捜索、がれきの撤去作業を日夜続けるつらさは、察するに余りあります。
家族と同じ年格好の遺体を見るたびに、どうしても自分の家族に置き換えてしまうのだとか。肉親を思う心と国民を守るという使命感に引き裂かれそうになる毎日。私だったらとても耐えられそうにありません。
遺体を抱きかかえる隊員たち
「一人でも多くの人命を救うのだ」という使命感に燃え、全国各地から被災地にやって来た隊員たちは、当初あまりに悲惨な状況に言葉を失ったといいます。なぜなら、要救助者と同じ数の遺体があちこちに横たわっていたから。
「車の中を覗いても、玄関を開けても必ず遺体を目にする」(隊員のメールより)という「地獄のような」現場。津波による漂流物で傷ついた遺体も多く、日数の経ったものほど腐敗は進んでいます。
日常的に遺体を扱う警察官とは異なり、自衛隊員は遺体に慣れているわけではありません。若い隊員たちは、損傷した泥まみれの遺体と初めて向き合い、ショックを受ける者も多かったそうです。
それでもヘドロの異臭が漂うがれきをかき分け、変わり果てた遺体を発見すると数名で抱きかかえ、自分の家族のように丁重に搬送したと言います。
遺体の取扱いについては、『自衛隊さん ありがとう』に次のようなエピソードが記されています。
(災害統合任務部隊を指揮した)君塚陸将は、たとえ何ヶ月経ったご遺体でも、発見された亡骸を家族の元に届けるまで ” 行方不明者 ” として、昨日今日亡くなった人と同じように遇することを命じたのである。したがって、腐敗が進み損傷の激しい遺体であっても、隊員たちはその遺体を数名で抱きかかえて搬送したのだった。
陸海空合わせて10万人の部隊を指揮した君塚陸将は、隊員たちの自発的な心配りも披露してくれています。
「隊員たちは、捜索中に尿意をもよおしたら、持参したビニール袋に用を足すんです。というのも、瓦礫や土の中には、いまでも数多くの行方不明者が埋もれている可能性があるからです」
悲しみに沈む遺族に寄り添う指揮官の真心と、隊員たちの心遣い。約2万体の遺体収容の陰でこのような物語があったと知り、ただただ頭が下がるばかりでした。
温かい食事は被災者に
食事にまつわるエピソードも胸を打つものばかりでした。
ある日、腹もちがよいので隊員に大人気の赤飯の缶詰が配給された時のこと。封も切らずに返品された缶詰が、補給テント内に山のように積み上げられました。「祝い事の時に食べる赤飯を食べる気になれない」というのが返品の理由だったそうです。
次の写真は「戦闘糧食1号」という缶詰に入った食事を食べている画像。
隊員たちは温かい食事は全て被災者に提供し、自分たちは缶詰の冷たい食事を何日も食べ続けたといいます。
『自衛隊がいてよかった』では、次のようなエピソードも描写されていました。
震災後1ヶ月以上経って、「やっと自分たちも温食が食べられるようになった」という部隊の食事は、キュウリ2切れほどと、ウインナーが1つちょこんと乗っているご飯と味噌汁だけでした。あの肉体労働に足りるとは到底、思えません。
自分たちは後回し、被災者が最優先という自己犠牲の精神は美しいし、「ありがたい!」と心底から思います。しかし、いつまでも自衛隊員に忍耐や自己犠牲を強いていいのだろうか。十分に食べ、休養した隊員たちは、今よりもっと国民のために働くことができるはず。そんなことも考えさせられました。
明日は2023年3月11日。東日本大震災で亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、自衛隊員への感謝の気持ちを新たにしたいと思います。
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