昨年から始めた元旦早朝の初詣で(昨年の初詣での記事はこちら)。今年も1月1日午前5時に自宅を出発し、氏神様である篠崎八幡宮(北九州市小倉北区)に出かけてきた。
未だ夜も明けそめぬ時間にどうして参拝しようと思い立ったのか。それは元旦の午前5時30分に、天皇陛下が四方拝(しほうはい)という行事を執り行われていると知ったから。
陛下は、毎年元旦早朝に「日本国と1億2千万人の国民に降りかかる不幸は、まず我が身を通してからにしてください」との祈りを神に捧げていらっしゃる(四方拝についての過去記事はこちら)。
どうせ初詣でに出かけるのなら、陛下が四方拝を行われる時間帯に参拝させていただこう、という単純な思いからである。
目次
まずは篠崎八幡宮へ
午前5時に自宅を出発。今年は大通りを通って神社へ向かうことにする。さすがに車も通らず通行人の姿も皆無である。
神社が近づくにつれ、参道の両側に点火された御神灯が夜目に鮮やかだ。
鳥居をくぐり石段を登ると、楼門とその奥の本殿が目に入ってくる。
1400年の歴史を誇る篠崎八幡神社、小生と同様に早朝からの参拝者もちらほらといらっしゃる。
本殿前には恒例の干支を描いた大絵馬が飾られている。
今年はコロナウイルスの感染予防のため、本坪鈴(ほんつぼすず)は取り外されていた。静かな境内に柏手(かしわで)を打つ音がよく響く。
参拝の始めには、「神恩感謝」と住所・氏名を
(出典:出雲大社埼玉分院)
長く生きてきたので、参拝の作法はひととおり心得ているつもりだったが、つい最近初めて知ったことがある。
それは、神様に祈願をする時には、まず住所と氏名を申し上げるということ。最初に「福岡県北九州市〇〇区に住む▲▲でございます」とお伝えしないと、神様はどこのだれのお願いなのか判断できないのだそうだ。
なるほど。だから初宮参りや七五三の祈願をお願いすると、神主さんが祝詞(のりと)の冒頭に祈願者の住所と氏名を読み上げるのか、と膝を打った次第。
と言うわけで、今年の祈願の文句は次のような内容となった。
(住所氏名を申し上げた後に)
いつもお守りいただき、感謝申し上げます。【神恩感謝】
世界の平安と日本国の弥栄(いやさか)を祈念申し上げます。【天下太平の祈願】
併せて、わが親族への変わらぬご加護をお願い申し上げます。【家内安全・無病息災の祈願】
以前ある方から「神社での祈りの本質は感謝と誓いだ」と、お聞きしたことがある。
常に守られていること、大過なく過ごせていることへの感謝が一番。次に公への願い。最後に個人的なお願いを申し上げるのが順序だとか。
個人的なお願いも「〇〇をかなえて下さい」という他力本願の神頼みではなく、「〇〇がかなうように努力しますので、お力をお貸し下さい」という誓いが含まれたお願いが本来の祈りの姿だという。
「努力なしの神頼みはかないませんよ」と、その方ははっきりおっしゃった。苦しい時の神頼みばかりしてきた小生は、赤面するばかりであった。
(出典:出雲大社埼玉分院)
八坂神社へ向かう
今年は篠崎八幡神社に続き、八坂神社(小倉北区)にもお参りすることにした。このまま帰宅しても午前6時過ぎ。元旦のおせちにはまだ早いので、ウォーキングがてらもう一社参拝させていただくとしよう。
次の写真は午前6時30分頃の勝山公園。人っ子一人いないかと思ったら、既にジョギングやウォーキングをするシニアが数名。年寄りの朝は早いなぁ。
小倉城の堀の横を通るが暗くてよく見えない。早朝は照明が消されているため、ぼんやりとした城のシルエットが確認できるだけだ。
少し寂しいので、ライトアップされたお城の写真を紹介させていただくとしよう。
八坂神社は、小倉藩初代藩主・細川忠興(ほそかわただおき)が元和3年(1617年)、豊前国の総鎮守として創建した神社(当初は祇園社)。昭和9年に旧小倉城内に移築され、厄払いの神として有名な須佐之男命(すさのおのみこと)など13柱を祀っているという。
今日は東門から参道を進み、境内に入ることにする。
コロナウイルスの伝染予防のため、手水の利用は停止とのこと。掲示板の指示どおり手を合わせ「祓(はらえ)え給(たま)い、清め給え」と2度唱え、拝殿へ向かう。
時刻は7時近くとなり、参拝者も少しずつ増えてきた。
住所氏名と祈りの言葉をお伝えした後、正面参道の楼門をくぐり自宅へ帰ることにする。まだ夜は明ける気配はない。
午前7時15分に自宅着。2時間余りの徒歩の初詣で。全身汗で濡れていたので初風呂(「若湯(わかゆ)」と呼ぶらしい)に入り、おせちの膳に向かう。
今年はジジババ二人だけの正月なので、寂しいものである。
[…] ※ 過去の初詣での記事はこちら > 今年も元旦早朝の初詣でに出かけてきた、元旦早朝の初詣でに出かけてきた […]