◆前回の記事はこちら >奈良&京都見聞録(2) 春日大社、千三百年を共に生きた神と人
※ 本稿は2018年12月16日の記録を、12月29日にアップしたものです。
目次
東大寺の金剛力士像へあいさつ
春日大社の参拝を終え、そのまま東大寺へ向かう。まずは、南大門の「金剛力士像(仁王像)」(国宝)にご挨拶。いつもながら見ほれてしまうなぁ。この迫力と躍動感。
運慶と快慶が中心となって制作した鎌倉彫刻の大作。この圧倒的な迫力と発散されるエネルギーは、生で見ないと味わえない。元気が湧いてくる。
小生のコンパクト・デジカメではうまく写せなかったため、「東大寺・御朱印」サイトの画像を引用させていただいた。
両像ともに高さ8メートル以上、総重量は6トン強。運慶、快慶を中心とした4人の大仏師と多くの小仏師によって、わずか69日間で制作されたという。
下から見上げたときにより迫力が増すように、下半身よりも上半身が大きく造られているらしい。憤怒の形相と上半身の筋肉の力感がすばらしい。
創建当時の伽藍(がらん)の巨大さ
南大門をくぐると、大仏殿の巨大な建屋が視界に飛び込んでくる。カミさん曰く、「やっぱり大きいねぇ!」。思わず感嘆の声が出てきたようだ。聞けば東大寺を訪れるのは、中学の修学旅行以来だという。
何度も訪れたことのある小生でさえも、毎度のことながらこの大仏殿の壮大なスケールには圧倒される。
大仏殿(金堂・国宝)は世界最大級の木造建築で、東西(正面)57メートル、南北(側面)50.5メートル、高さ48.7メートル。現在の建物は江戸時代に再建されたもので、創建当時はこの1.5倍もあったという。再建時に巨木の調達がままならなかったため、やむを得ず、正面の幅を約30メートル縮めたそうである。
さらに驚くことには、創建当時の東大寺にはこの大仏殿の両側に、東塔と西塔の二つの塔があったらしい。両方とも七重の塔で、高さは約96メートルあったという。
現存する最も高い木造の塔は京都の東寺五重塔で、その高さが約55メートル。その倍近い塔が大伽藍(がらん)の左右に並び立つ光景を想像すると、とてつもない規模の大寺院であったことが分かる。
このような巨大な建造物を、ゼロから造り上げた1300年前の日本人たち。彼らのチャレンジ精神と意気込みには、畏敬の念すら覚える。
創建当時の大仏を想像する
大仏殿(金堂)に足を踏み入れると、巨大な盧舎那仏(るしゃなぶつ)が鎮座まします。現在の大仏の高さは約15メートル、5階建てののビルほどの大きさである。これが創建時には18メートルあったという。
造立当初は全身に金メッキが施されており、当時は目もくらむような黄金の輝きに包まれていたらしい。まさに万物をあまねく照らす、輝かしい太陽のような存在として造られている。
使用された銅約500トン、錫約8.5トン、水銀約2.2トン、金は440キロに及んだという。造立に従事した人数は、記録には90万人の職人を含む、126万人とあるそうだ。
とにかく全てが巨大すぎて唖然(あぜん)とするしかない、というのが率直な感想である。
なぜ大仏を造立したのか?
これほどまでの巨額な費用と膨大な人員を費やして造立された大仏殿と大仏を目にすると、誰でもある疑問が湧いてくる。それは、1300年前に「なぜこれほど巨大な仏と建築物を作らなければならなかったのか」という問いである。
作家の五木寛之氏は、著書『百寺巡礼 第一巻奈良』(講談社)で、この謎を次のように推理している。
- 東大寺が創建された8世紀は、唐が大帝国として東アジアを制覇していく時代であった。
- 当時の日本は、朝鮮半島の百済(くだら)と同じような運命をたどり、大国唐の属国とされる恐れがあった。
- その運命に甘んじることなく、自主独立の道を進もうとする国家意思のシンボルが「東大寺」という存在ではなかったか、と。
「歴史家からは批判されるかもしれないが、‥‥(略)‥‥東大寺の造営は、国際社会に対する日本の「独立宣言」だった。そのために律令政府は全エネルギーを注ぎ込み、国家の財政を傾けてまでも、これほど巨大なものをつくりあげたのだ。」
「千二百年以上前の日本人が、燃え上がるようなエネルギーをもっていたからこそ、東大寺造営というとてつもないプロジェクトが実現した。国家創世記の日本人がもっていた力強いエネルギー。それを思うと、熱いものがこみあげてくる。これほど巨大なものをつくった奈良時代の人びと、いにしえの日本人のすがたから勇気を与えられたような気がする。」
(出典:前掲書)
国家の命運を担う未曾有のプロジェクトに挑む100万人を超える人々。自主独立と国家創建に挑む小児のように幼い国「日本」。
五木氏が記したように、東大寺盧舎那仏は「日本が日本になるための大仏」であったのかもしれない。
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