出典:薬師寺/ウィキペディア(Wikipedia)、640px-YAKUSHI_light_up.jpg、名古屋太郎氏撮影
◆前回の記事はこちら >奈良&京都見聞録(5) 薬師寺、よみがえった白鳳伽藍
※ 本稿は2018年12月18日の記録を、2019年1月10日にアップしたものです。
前回は、約50年前の薬師寺が「老朽化が進み荒れるに任せる状態」であったこと、その薬師寺で一人の僧が「仏法の種をまくことが自分の使命」と決意し、修学旅行生への「青空法話」を18年間続けたことを紹介した。
今回はその僧侶・高田好胤(たかだ・こういん)師が、金堂再興を決意され、前例のない方法で建設費10億円(1970年当時)を集めたエピソードを紹介しようと思う。
個人の旅行記を外れてしまった感があるが、お許しいただきたい。小生は、この寺への思い入れが強いのである。
ゼロからの挑戦~写経100万巻と8千回の講演行脚~
好胤師と金堂復興の経緯については、たとえば次のように紹介されている。
復興事業は歴代の薬師寺住職の悲願でした。
昭和42年に住職になった好胤師は金堂の復興を発願、翌年にお写経勧進を開始します。復興費用は当時の金額で約10億円。お写経のご納経料は一巻1,000円(現在2,000円)、100万巻が必要な計算です。「できるわけない」と多くの人が言いました。企業から寄付の申し出もありましたが「一人でも多くの方がお写経で心の幸せをいただき、それで建ったお堂でなければお薬師様は喜んではくださいませんから」と辞退します。(出典:「半世紀を超えるプロジェクト」/うましうるわし奈良)
今でこそ写経は広く知られているが、当時は一般人にはなじみが薄いものだった。好胤師は、写経を呼びかけて全国を講演に駆け回った。「800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った」(薬師寺/ウィキペディア(Wikipedia))という。「点滴を打ちながらの疾風怒濤の全国行脚」だったとか。
その折に一番の力になったのは、かつての修学旅行生たちだった。大人になった彼らがPTAの講演などに好胤師を招き、写経勧進の話が全国に広がったそうである。
発願から7年後の1975年11月、ついに納経百万巻を達成。師が18年間まき続けた種が、大きく成長し花を開かせたのであろう。
1976年4月1日、金堂の落慶法要が厳かにおこなわれた。
個人的な感想だが、好胤師の素晴らしい点は
- 金堂復興資金の調達にあたり、「写経勧進」という前例のないユニークな方法を考案した。
(個人の善意の寄付だけでは、なかなか資金は集まらない。) - 企業からの寄付は辞退し、「多くの人々が仏心に触れて幸せになってもらう」ための写経を通じて、復興をめざした。
- 管長自らが率先して全国を講演し、プロジェクトを推進した。
- 金堂再建後は「西塔復興」という新たな目標を設定し、写経勧進の振興を継続させた。
大目標の設定、明確な方法論の確立、人々に「幸せになってもらう」という崇高な理念の裏付け、リーダーの率先垂範、モチベーションの永続‥‥、師がいかに優れたリーダーであったかが浮かび上がってくる。
好胤師が唱えた写経の輪はその後、大きなうねりとなって全国に広がっていく。薬師寺への納経は現在も続いており、870万巻を超えているそうだ。境内には、写経道場の建物があり「どなたでもご参加頂けます」という看板を見つけることができた。
‥‥小春日和の日差しの中、ひととおり境内を散策し売店が設置された建物に入ると、中学生の一団がずらりと並んで座っている。どうやら熊本の修学旅行生のようだ。前方では元気なお坊さんが、テンポのよい調子で法話の最中だった。場内からは、何度も笑いの渦が巻き起こる。
「仏法の種をまく」という志は営々と受け継がれているようで、嬉しくなる。外には青空が広がり、陽光がまぶしいほどであった。
※ 高田好胤師の他にも、薬師寺復興に関わった人のエピソードを少し知っておくと、参拝の面白さが増すと思う。次の方々について、ネット等で情報収集されることをお勧めしたい。
- 法隆寺宮大工棟梁 西岡常一 氏
この人がいなければ古代工法による復興は不可能だった、といわれる伝説の宮大工。古代の槍鉋(やりがんな)を復活させ、「コンクリートは300年しか持たないが、木は1000年持つ」という名言を残した。 - 鍛冶 白鷹幸伯 氏
薬師寺西塔再建のために、千年の耐用年数の和釘を鍛造した鍛治職人。釘製作の経緯は、「千年の釘にいどむ」(小学校5年生の国語教材)に取り上げられた。 - 画家 平山郁夫 氏
玄奘三蔵院の「大唐西域壁画」を約30年かけて描いたシルクロードの画家。
※ 薬師寺復興50周年記録映像「千年を、<かたち>に。」
復興工事を担当した池田建設の記録動画。約8分と少し長いが、伽藍復興への熱意が伝わってくる。
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