◆前回の記事はこちら >奈良見聞録(6) 室生寺、掃き清められた石段と優美な五重塔
※ 本稿は2019年9月25日の記録を、12月30日にアップしたものです。
奥の院、「心は室生に 有り明けの月」
五重塔の裏手から奥の院へ至る長い石段が伸びている。いよいよ700段の石段の核心部だ。両側の杉の巨大さがこの寺の長い歴史を感じさせる。
呼吸に合わせ一歩々々確実に歩を刻んでいく。途中で息を継ぎ、立ち止まって小休止する参拝者の姿が目立つようになる。
山歩きを始めた頃、長い石段の登りに弱音を吐いた小生に「ここまで重い石を運び、石段を積み上げた人の苦労を思えば、我慢できるきつさだよね」と、元気づけてくれた先輩のことをふと思い出した。
途中の「賽(さい)の河原」から先は、明治時代に石段が出来るまでは、女性でも絶壁を這(は)うようにして登ったという。
室生寺が女性に門戸を開放したのは、鎌倉時代以降だとか。これまでどれくらいの女性が、さまざまな悩みや悲しみを胸に秘め、この長く険しい急登を登ったのだろうか。
‥‥五重塔から15分弱、最後の急な勾配の石段を登り切ると、奥の院。常燈堂(納骨堂)と弘法大師をお祀りする御影堂(大師堂)が現れる。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう‥‥」、弘法大師42歳像を安置する御影堂で頭をたれ、光明真言と「南無大師遍照金剛」を3度ずつ唱える。実は、わが家も真言宗なのだ。
御影堂の前には、弘法大師作と伝えられる歌が刻まれていた。
「我が身をば 高野の山に とどむとも 心は室生に 有り明けの月」
「心は室生に」有ると「有り明けの月」を掛け、「身体は高野山に、心は室生寺に有る」との歌。「有り明けの月」は夜明けの空に昇る月であることから、暗い夜が終わり希望の光が差し込むイメージも含んでいるのだろう。
大師作かどうか真偽は定かではない。だが高野山への立ち入りを禁じられた女性が、山深い室生まで足を運び、難行苦行の末にこの歌にふれた時の喜びは、さぞや大きかったことだろう。
せっかく奥の院を訪れたのだからと、カミさんはここでも御朱印をいただいていた。
室生寺を支える人々
奥の院でのお参りを済ませ、長い石段をゆっくりと下り金堂に着くと、一心に掃き掃除をされている男性がいらっしゃる。振り落ちた杉の葉を丁寧に掃き集めている。恐らく地元の檀家の方なのだろう。
「お疲れ様です。おかげで気持ちのよい参拝ができました。」
「ありがとうございます。お気をつけてお帰りください」
月並みな感謝の言葉のやり取りなのだが、何となくほのぼのした気持ちになる。室生寺が多くの参拝者を集める訳が、何となく分かった気がした。
‥‥参拝を終え、駐車場にもどったのが11時30分。広い駐車場にとまっているのは我が愛車のみ。お腹もへったので、ここで早めのランチをとることにする。
木陰にとめた車のドアを開放し、爽やかな風に吹かれて、出がけに買った「野菜づくし弁当」を食べる。食後はシートを倒し、30分ほど昼寝。勝手気ままなシニアのマイカー旅行の特権である。
目覚めると、秋空が広がっていた。
※ 室生寺の紹介動画(30秒)
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