◆前回の記事はこちら >奈良見聞録(2) 高速道路を乗り継ぎ、法隆寺へ
※ 本稿は2019年9月24日の記録を、11月1日にアップしたものです。
法隆寺の思い出
初めて法隆寺を訪れたのは、中学3年の修学旅行の折だったから50年以上も前になる。現存する世界最古の木造建築、エンタシスの柱、聖徳太子の建立、止利仏師(とりぶっし)の釈迦三尊像、芭蕉の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句、こんな断片的な知識を事前に詰め込み、友人たちとワイワイ言いながら見学(?)したと記憶する。
「古いことがそんなに有り難いことなのかなぁ」というのが、法隆寺の印象でしかない。この日境内にいた修学旅行生の中に、半世紀前の自分のような少年を見つけ、思わず苦笑してしまう。
2度目の訪問は20代後半、法隆寺の宮大工棟梁・西岡常一(にしおか・つねかず)氏の『法隆寺を支えた木』を読み、法隆寺の修理にかけた氏の情熱と叡智に心を打たれた後だった。同時に梅原猛(うめはら・たけし)氏の『隠された十字架』に触れ、法隆寺は聖徳太子のたたりを封印するための「鎮魂の寺」だ、という推理に知的興奮を覚えていた頃でもあった。
連れが京都市郊外に宿をとっていたため、ゆっくりと見学できず未練を残して寺を後にした記憶がある。夢殿や隣の中宮寺は時間不足のため、涙をのんで割愛せざるを得なかった。
3度目の訪問はほぼ10年前。仕事の合間のわずかな時間を利用しての駆け足参拝だった。
「いつかはたっぷり時間をとり、時を忘れて心ゆくまで散策したい」と思い続け、やっとそれが実現できる日が来たという次第。今回の宿はJR奈良駅の近く、これから夕方までたっぷりと時間はある。ワクワクしながら南大門をくぐったのだ。
古いから尊いのではない、尊いからこそ長く残った
中大門をくぐると、法隆寺の大伽藍が眼前に広がる。広々とした境内は掃き清められ、手前に金堂と五重の塔、正面奥に大講堂が整然と並んでいる。
この光景をひととおり見渡すと、ため息がもれそうになる。それぞれの建物の存在感が半端ではない。1400年という時の試練を経た「重み」が、じんわりと浸透してくるかのようだ。
千年以上前も誰かがこの風景を眺めていたのかと思うと、何とも不思議な感慨を覚える。法隆寺では、時が止まったまま息づいている。
中大門の石段から境内の砂利に足を降ろし、五重の塔、金堂、大講堂の順にゆっくりのんびり見て回る。堂内は撮影禁止なので、写真は外観のみのものとなる。
今日は時間のゆとりがあるので、細かい所までていねいに見て回る。金堂2階の四隅には、龍の彫刻が施された支柱がある。風雪に洗われ摩耗しているが、迫力はいまだに健在。
大講堂前の青銅製の燈籠。細部の造作にも作者のこだわりが感じとれる。
法隆寺の建立は推古15年(607年)。日本仏教の基礎を築いたとされる聖徳太子が、ここ斑鳩(いかるが)の里で陣頭指揮をとり、最高の職人と最新の技術により建設されたという。五重塔や金堂は世界最古の木造建築とされ、1993年には日本で初めてユネスコの世界遺産に登録されている。
その聖徳太子の遺志を継ぎ、法隆寺を1400年以上にわたり守り続けた無数の人々。彼らの存在がなければ、今この名刹を見ることができなかったと考えると、ある種の感慨が湧き起こってくる。ここは1400年以上も累積した信仰の重みが感じ取れる場所。
「古いから尊いのではない。尊いから長く残ったのだ」、そんな思いに一瞬でも浸れる場所が法隆寺だと、改めて感じた次第。
※ 法隆寺でカミさんがいただいた御朱印。中央に墨痕鮮やかに「以和為貴」としたためられている。「和を以て貴しと為す」、令和元年の良き記念となった。
※ 本記事の続きはこちら >奈良見聞録(4) 法隆寺夢殿、太子の霊に鎮魂の祈りを捧げる。
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