夢殿 宝珠 posted by (C)北迫薫-poco
◆前回の記事はこちら >奈良見聞録(3) 法隆寺、時は止まったまま息づく
※ 本稿は2019年9月24日の記録を、12月11 日にアップしたものです。
夢殿、太子とその一族に祈りを捧げる。
法隆寺訪問4回目にして、やっと夢殿を訪れることができた。いつかこの夢殿を参拝し、ささやかながら聖徳太子の霊に祈りを捧げたかったのだ。
夢殿とは法隆寺の東の端に位置し、聖徳太子とその一族が居住していた斑鳩宮(いかるがのみや)の跡地に建立された八角形のお堂である。太子の霊を供養する目的で、8世紀初めに高僧・行信(ぎょうしん)により建立されたとされる。
奈良時代に建立され、鎌倉時代に大改造を受けたという夢殿、東院伽藍の回廊に囲まれ、甍の上には見事な宝珠をのせた典雅な姿でたたずんでいる。
法隆寺を訪れてもここまで足を伸ばす人は少ないようで、この日は我々以外に数名の参拝者がいるのみであった。静かで穏やかな初秋の午後である。
この斑鳩の地は、晩年の太子が理想郷を求めて移り住んだ地。また太子没後、蘇我入鹿の軍勢に襲撃され、山背大兄王(やましろのおおえのおう、太子の息子)を始め一族が自害して果てた地でもある。
最も愛した土地で自らの血脈が根絶やしにされた太子、その無念はさぞかしなものであったろう。
ここは太子の思いと一族の怨念が眠っている場所、太子信仰の聖地でもある。法隆寺の正式名称が「聖徳宗法隆寺」であるのもうなづける。
小生は聖徳太子を信仰しているわけではないが、かねてより太子の功績とその人物には深い敬愛の念を抱いている。日本国の土台を築き、独立を守るために多大の貢献をなした偉大な人物と思っている。
救世観音(ぐぜかんのん)像、800年間封印された秘仏
夢殿内には巨大な厨子が安置され、聖徳太子の等身像と伝えられる秘仏・救世観音(ぐぜかんのん)像が厳重に奉安されている。高僧・行信が夢殿建立の時に本尊として迎えた「霊像」である。
今でこそ、年2回の特別公開時にそのお姿を拝見できるが、実はこの像は800年間も夢殿の中で封印されてきた秘仏だった。
秘仏「救世観音像」(出典:「巡る奈良」サイト)
封印が解けたのは、1884(明治17)年。東洋美術史家のフェノロサ(米国)と岡倉天心が法隆寺を調査。封印を解けば神罰が下り、地震で寺が崩壊するという僧侶たちの反対を押し切り、800年間も閉ざされていた厨子を開扉。まるでミイラのように厳重に何重にも巻かれた「高き物」を発見する。
孫引きで恐縮だが、その時の様子を引用すると‥‥
木綿を取り除くこと容易に非(あら)ず。飛散する塵埃(じんあい)に窒息する危険を冒しつつ、凡(およ)そ500ヤードの木綿を取り除きたりと思ふとき、最終の包皮落下し、此の驚嘆すべき無二の彫像は忽(たちま)ち吾人(ごじん)の眼前に現はれたり。
(『東亜美術史綱』アーネスト・フェノロサ)
「500ヤード」は約450メートル、常識を越える長さである。いかに秘仏とは言え、これだけの長さの布で厳重にグルグル巻きにするというのは、何かよほどの理由があるのではと疑念を抱くのは無理ないことだ。
法隆寺は聖徳太子のたたりを封印するための「鎮魂の寺」だ、と推理する梅原猛(うめはら・たけし)氏の『隠された十字架』が書かれたのも無理はない。
次に法隆寺を訪れる機会があれば、ぜひこの金色に輝く救世観音像を拝観できる特別拝観期間に尋ねてみたい。
◆ 夢殿本尊特別開帳(2019年12月現在)
春季: 4月11日〜5月18日
秋季: 10月22日〜11月22日
※ 本記事の続きはこちら >奈良見聞録(5) 中宮寺、「たましいのほほえみ」に会いに行く
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